2008年4月28日月曜日

痛み

お,思い出しました。

前回の記事で「痛みを探求」とか言ってましたけど,つまりこれは「痛みのクオリア」を何とか捉えてみようと試みていたということです。

「クオリア」って言葉が出てこんかった。

ダニエル・デネットは「クオリア」は認知科学に不必要な概念だと主張しているけど,確かに他者についてお互いのクオリアを交換する方法が現在のところ無いわけだから,クオリア自体を探求することに意味は無いかもしれない。でもそれはぼくの無知ゆえの感想であって,認知科学の最前線では活発な議論があるのだろうな。勉強したいけど,時間が無い,つまり能力が無い…

大学の初年度の頃はカント→フッサールという観念論→現象学が好きでした。意識や本質というものに関しては不可知論に近い立場だったわけですね。

今はどうかっていうと,あんまり変わらないな。ただ,不可知論は思考停止なので,よっぽどのことが無い限り選択しません。(文化)相対主義は憎悪を感じます。強い独我論はアホだと思います。

「私は独我論が真実だと思うんですけど,先生,どう思われます?」

とバートランド・ラッセルに質問した方が居たとか居ないとか。

客体の存在はほぼ無条件で真だと考えて,人間は主観的な方法のみでしか客体に迫ることしか出来ないことを認めつつ,過度に主観に価値を置かない。でも客体が何であるか知りたいので,主観と客観のぎりぎりのところを追い詰めて客体を捉えたい。そのために行う極めて誠実なアプローチこそが,科学だと思っています。だから科学をやっております。

いずれにしても,実のところ,哲学的なことを考える余裕があんまりないんよ。

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