2008年8月30日土曜日

補遺(自己批判)

前回,
「S_0とS_1はいいとして,S_2とS_3に関してはおかしい」
とか書いていますけど,S_1に関してもおかしいね。

おかしくないのはS_0だけ。

やっぱり自分も分かってないんだね。

ストークスパラメーターの意味(続き)

前回に引き続き。

そもそもの疑問の出発点は,

「なぜ一般の偏光状態を記述するストークスベクトルの個々のパラメータを,『×○偏光の強度(差)』,例えば『直線偏光の強度差』という言葉を使って説明するのか? 直線偏光を二つ用意して強度差を見てもそりゃ一つの光の偏光状態に対するストークスパラメータとは何にも関係ないじゃないか!」

というもの。

いや,ま,慣れてしまえばなんとなく言いたいことは分かるのだが。

今回取り上げる本は6冊。

(1)ボルン・ウォルフ「光学の原理」
(2)鶴田匡夫「応用光学Ⅱ」
(3)土井康弘「偏光と結晶光学」
(4)辻内順平「光学概論Ⅱ」
(5)小塩高文・鈴木範人「応用光学Ⅱ」
(6)藤原裕之「分光エリプソメトリー」

さて,最初に。
前回推測した「Q資料」だが,おそらく
(1)ボルン・ウォルフ「光学の原理」
であることが判明。

購入したのは第7版の日本語訳で,Ⅲ巻99ページにこのような記述がある。

「変数s_0が全強度を表すことは明らかである。変数s_1は方位角θ=0°の直線偏光を透過させる偏光子を通った光の強度から,θ=90°の直線偏光を透過させる偏光子を通った光の強度を引いたものである。変数s_2もθ=45°とθ=135°に対する同様な意味を持つ。…」

確かにこの記述は,前回取り上げた文章と似ているが,この記述については全くもって納得いくものである。重要なのは
「方位角θ=0°の直線偏光の光強度から,θ=90°の直線偏光の光強度を引いたもの」
ではなく,
「方位角θ=0°の直線偏光を透過させる偏光子を通った光の強度から,θ=90°の直線偏光を透過させる偏光子を通った光の強度を引いたもの」
というまさに「偏光子を通った」という言葉の有無。

これかー,ぼくの弱い頭を混乱させていたのは。

前回「測定の側からの定義」(operational definition)にも言及したが,「偏光子を通った」という言葉が測定側からの定義(意味)に対応している。

例えば(2)鶴田「応用光学Ⅱ」について,199ページのストークスパラメータの定義((212)式~(215)式)下の文章だけ見ると,
「S_1は水平偏光優越分すなわち水平直線偏光強度マイナス垂直直線偏光強度」
とか書いてあって,ぼくを混乱させたものと同じ非常に分かりづらい記述である。

だが,前のページまでに「偏光器の透過軸を云々」と測定の側から,ここで「偏光強度」と呼んでいる量の定義があるので,「光の強度」(これは電場ベクトルの大きさの2乗)と「偏光強度」という言葉の示している意味が違うことが理解できる。

だからやっぱり「強度」の意味が違うんだ。

一方(6)藤原「分光エリプソメトリー」では,67ページ以降の記述について,「入射光強度」「直線偏光の光強度」の定義が明確ではなく,前回取り上げた河合と同様の「max分かりにくい」説明になってしまっている。直線偏光のジョーンズベクトルおよび45°回転ジョーンズ行列を使って,「強度→電場振幅」の変換も行っているが,「測定」に関する言及がないので,やはり分かりにくい。

任意の直線偏光を45°回転させた座標系(x',y')で見ても,それはそのままでは「45°の直線偏光」ではない。その先にx'およびy'軸に透過軸を持つ「完全偏光子」が無くてはストークスパラメータの意味を説明したことにはならない。

他の本については(4)辻内「光学概論Ⅱ」,(5)小塩・鈴木「応用光学Ⅱ」ともにストークスベクトルについては天下り。だが,混乱した記述は無い。

※ちなみにこの二つの本は結晶光学の入門書として分かりやすい。特に「法線速度面」と「光線速度面」の記述が良い。「結晶光学」は実に理解しづらい。

いずれにしても,ようやく納得行きました。

さて,最後に。

偏光を記述するやり方として,とりあえず(準)単色光に限るとして,ウォルフの「コヒーレンシー(可干渉)行列」がもっとも一般的だと思う。

当然ながら(1)ボルン・ウォルフ「光学の原理」にもコヒーレンシー行列が詳述されている。そのコヒーレンシー行列による記述法に等価なのが,ストークスベクトルおよびポアンカレ球による記述であり,ボルン・ウォルフには成分間の関係しか書いてないが,(3)土井「偏光と結晶光学」によればコヒーレンシー行列を単位行列+パウリ行列(これは完全系)で展開した係数がそれぞれのストークスパラメータに対応することが示せる。

ジョーンズベクトルとの関係については,ストークスパラメータに関係する偏光状態(垂直・水平・±45°直線偏光,左右円偏光)を抽出する偏光子に対応するジョーンズ行列を,ストークスパラメータの定義どおりに引き算すると,それぞれパウリ行列が出ることから,つながる。

ここには何か代数の世界があるはずで,ウィキペディアの英語版にはなにやら深遠なことが書かれていてすげえなぁ,と思うが理解できず。修行が足らんね。

※これは蛇足だけども,前回取り上げた「結晶光学」の138ページに
「土井は,2×2の行列が一般的に,パウリのスピン行列の一次結合で表され,ジョーンズ行列に対するこの一次結合の4個の係数がストークスパラメータになることを示した」
という文章があるが,この文章は

…じつにひどい。

2008年8月18日月曜日

備忘録(ストークスパラメータの意味)

「ベクトルSをストークスベクトルS=(S_0,S_1,S_2,S_3)としたとき,

・S_0は単色電磁波の電場の全強度

・S_1は同電場のx成分とy成分の強度差

・S_2はx軸となす角が+45°の直線偏光と-45°の直線偏光の強度差

・S_3は右円偏光と左円偏光の強度差

をあらわす」

という説明がある。例えば,ぼくが読んだ中では…

河合滋「光学設計のための基礎知識」(オプトロニクス社)
B. Schaefer, et.al, "Measuring the Stokes polarization parameters", Am. J. Phys. 75, 163 (2007).
(→でも良く見ると,preponderanceという言葉を使っていて「優位,優勢」という意味だから,後述のヘクトの「傾向」に近い言葉だね,これは。となると河合のみ?)

など。

ほぼ同じ文章なので,「Q資料」があるはずだが,どの本なり論文が最初にこの説明をしだしたか分からない。まあそれはいいとして,この説明は,S_0とS_1はいいとして,S_2とS_3に関してはおかしい,っていうか不親切だと思う。

ちなみに他の光学の本では,

ヘクト光学Ⅱ…S_0は入射強度だからいいとして,S_1~S_3は,対象としている光が,ある直線偏光(ヘクトは「P状態」と一般的に呼んでいる)にどれほど似ているか「傾向」を表す量である,と説明している。例えばS_2の場合,光が+45°方向の直線偏光(S_2>0の場合)と-45°方向の直線偏光(S_2<0の場合)のどちらに似る傾向にあるか表す量である,ということ。だからs_2=0だと直線性は無い。だから円偏光の場合はs_2=0。

結晶光学(応用物理学会光学懇話会編)…意味というより,測定からの定義。

E. Hecht, "Note on an Operational Definition of the Stokes Parameters", Am. J. Phys. 38, 1156 (1970)にも「結晶光学」とほぼ同じ定義が書いてある。

ボルン・ウォルフとかは持ってません。


疑問(というか不信感):ストークスベクトルは(単色)電磁波の任意の偏光状態を電場の強度で表現する。だから,その成分は電場の成分の時間平均で一般的に書き下すことが出来る。だから,当然ながら偏光状態を指定しない限り,個々のストークスパラメータは決まらない。それを一般式の段階で「S_2はx軸となす角が+45°の直線偏光と-45°の直線偏光の強度差」なんて言えるはずがない。

大体普通は強度は1に規格化してあるんだから,ある偏光の強度差を比べても,両方とも1だから,どんな場合でもゼロでしょ??

意味が分からん。強度差の言葉の意味がおかしいのか?

→これは,たくさんの偏光が重ねあっている光があってストークスパラメータの線形和で記述できたとして(インコヒーレント:ストークスパラメータは電場強度だから)…と考えても救われない。その場合,楕円偏光になるからである(ヘクト光学Ⅱ,p.138)。


→確かに,x軸に対して+45°傾いている直線偏光のストークスベクトル

S_(+45) = 2 (1,0,1,0)

から-45°傾いている直線偏光のストークスベクトル

S_(-45) = 2 (1,0,-1,0)

を引けば,

S_(+45)-S_(-45)=(0,0,4,0)

となって,S_2の成分だけは残るがね…

これを強度差と言っているのかな?


いずれにしても,ヘクトが一番分かりやすい。

2008年8月15日金曜日

63回目

ですね。

祖父は二人とももういませんが,話を聞いたことは全くありません。
両親から聞いたのは,帰ってきてからまったく人が変わってしまった,ということ。

二人とも酒の量が増え,暴れたことも多々あったようです。

確かに,二人とも戦死はしていません。無事に帰ってきました。

でもやっぱり人生が,あまり良くない方に,大きく変わってしまったんだろうな,という印象を受けます。
二人ともぼくや弟には優しかったので(母方の祖父はぼくが2才のときなくなっているから,弟は知らんけど),人間の本質までは壊れてなかったと思いたいところです。

いずれにしても,ぼくは戦争に行った人の中には,それから長生きして亡くなったとしても,やっぱり戦死したというべき人がたくさんいたんじゃないか,と思っています。

だから,靖国神社の存在は理解は出来ますが,好きじゃありません。桜は綺麗だけどね。

2008年8月5日火曜日

分かりやすいね

何がっていうと,投稿数。

5~7月は見事に3つ,4つしか書いていない。

さて,個人的な覚書。

①山本昌200勝素晴らしい!!

子供の頃から良く弟と投球フォームとか真似してました。うちの弟も山本昌が好きで,ぼくは右利きだけど,弟は左利きだからより真似し甲斐があったらしい。

苦労人が偉業を成し遂げると,もらい泣きするね。

②ソルジェニーツィン氏追悼

とか言って,ちゃんと読んだことがありません・・・
中学の頃から読みたいなぁ,とか思っていたのですが,なかなか踏み切れず。

映像を見ていていつも感じるのは,

「ソルジェニーツィンっていかにもロシアの作家,という風貌だよなぁ」

ということです。

大作家が亡くなって惜しい,というのもありますが,あのような雰囲気の作家は昨今見かけなくなっていることから,時代が変わっていることを感じます。

ちなみに非平衡統計力学やプラズマ運動論の分野で有名なクリモントヴィッチ(Yu.L. Klimontovich)という物理学者(故人)も「いかにもロシア!」という風貌でした。

どうもぼくはロシア的風貌に憧れがあるらしい(笑)。