2008年12月26日金曜日

所長

本学液晶研所長は御歳77。まだまだ意気軒昂というか,激しく行動しまくっています。

電子メールは当然,最近は携帯電話メールも相当な速さで打ちます。

そんな所長から来た最近のメールの最後に。。。

「....よろしくお願いいたしまsh。」

Σ( ̄□ ̄;)!!

だ,DAIGO??!

さすがだ。。。

2008年12月3日水曜日

いや~

かつて横浜大洋ホエールズだった昔からの一ファンとして,そしてその弱かった時代を見ていて,そして横浜の名前のみを背負ったベイスターズになって,強くなって,ついには優勝したチームを目の当たりにして,そんでもってまた弱くなってしまった(笑)現状を見て,三浦にはありがとうございます!と感謝する次第です。

男気ってやつですな。

ぼくは結構単純なので,感動してしまいます。

ちなみに,山口は横浜ベイスターズ(大洋ホエールズ)ファンが未だ多くいるそうです。マルハの本拠地が下関だったからね。。。ありがたいことです。


・・・・・

読売巨人が,一番嫌いです。

…そして広島東洋カープに親近感を感じます。そういう横浜ファン多いんじゃないかなぁと思う。

2008年11月30日日曜日

本のサイズ

ついに引越しの準備をはじめました…

つくづく,引越し屋泣かせの部屋だと思います。なぜなら,荷物の6~7割(もっと?)が書籍だから。

引越しの見積もりに来る営業の方に毎回言ってしまうのですが,ぼくは学生のとき引越しのバイトをしていて,どんなお宅の引越しが辛かったか,っていうと,こりゃあもう書籍(およびCD,LPなど)の多いお宅なんですね。ダンボール箱が死ぬほど重くなるし,重いと運ぶときすべるし。だから嫌がられるでしょうね,と。お気持ちお察しします,と。

運ぶほうもイヤかもしれませんが,引越し依頼する側,つまりぼくもですが,辛い。

何がツラいって本の箱詰め。

なんでか。

それはね,本の大きさが違うからなんですよ!!

特に洋書!

全く大きさバラバラですよ,奥さん。縦が揃えば奥行きが揃わないし。妙に細長い本もあれば,横長の本もある。

同じ出版社の本なら同じだろうと思われるかもしれませんが,そんなことはありません。Cambridge University PressとOxford University Pressの本なんか本ごとに大きさ違うんじゃないかって,腹が立って仕方がありません(笑)。

大きさが大体同じなのはSpringerの本だけですけど,それも時代によって違いやがる。70,80年代の本と90年代入ってからの本は大きさ違うよ。

それに比べ,日本の本のなんと行儀の良いことか。

ジャンルが変わっても,寸法の規格が統一されているため,同じ大きさの本がほとんど。中にはイレギュラーなものもありますが,まあそんなに逸脱はしていない。

というわけで,今日はとりあえず和書を大きさで分類する作業をしていたわけですが,やっていて面白いことを発見しました。

それは,

(1)物理数学One Pointシリーズ(共立出版)
と,
「Monster」とか「Masterキートン」とか「天才柳沢教授の生活」とか青年マンガ誌単行本
と,
『フランスのガリマール社最大のプロジェクト「ガリマール発見双書」を原本とし、歴史、考古学、音楽、科学など人類の「知の遺産」を豊富なカラー図版とともに、解説。』でおなじみ(?)の創元社の知の再発見双書シリーズ
と,
Voice of Wonderlandシリーズ
と,
岩波テキストシリーズ
と,
新潮選書,朝日選書
が同じ大きさだということ。...なんだこの並びは。特に物理数学One Pointシリーズってすごく小さな本に見えるけど,「Masterキートン」の単行本と同じ大きさなんだよね~~意外。

(2)ソフトカバーの専門書はどんな出版社でも大体同じ大きさなのですが,「廃墟探索系」の本も,出版社が変わっても大体この大きさなんだよね。。。専門書なのか?

だから,「機能性流体・知能流体」なんて本の横に「廃墟の歩き方」と「廃墟探訪」とかがあったりする。いや~,ご主人。いい~,荒廃具合ですね~

ま,本の判型について調べれば当然見つかるべき事実なんですけど,改めて発見してみると,その組み合わせが面白いって話でした。

2008年11月28日金曜日

そういえば

先週tys,tys騒いでいましたが,あろうことか,tysの番組に出てしまいました。

本社ビルの記事書いていた時は出るなんて思いもよりませんでしたが。いやいや,大学にテレビ局が取材に来るらしいとは聞いてましたが,とある人物がKRYだとか言ってたし。違うじゃん。

テレビに出たとは言え,一瞬でしたし,クリーンウェア着てたから,絶対誰だか分かりませんね。

でもtysのレポーターさんが,
「これからクリーンルームに入ります!」
とかテレビカメラに向かって妙に気合入れてのたまわっていたとき,そのカメラの死角にぼく立ってたんだよな~,とテレビを見ながら思いました。

それだけ

2008年11月27日木曜日

どうして

「慙愧に堪えない」

「非常に残念です」
という意味で使う人が,お偉い方々の間で後を絶たないのでしょうか。。。単に「とても残念で仕方がありません」とか平明に言えばいいのに。

ぼくも良く誤用をしますが,気づいた際には慙愧の念に堪えません。

2008年11月21日金曜日

生誕100周年

おぉ,あと一週間でクロード・レヴィ=ストロースの生誕100周年じゃないですか!

しょうもないウンチクですが,この構造主義の祖の名前(姓)は,某有名ジーンズメーカーと同じなんですねぇ。(ウィキペディアにはちゃんと書いてある笑)

「あぁ,501? 構造主義ね。アーベル群ね」

とか言えば,嫌われること間違いなしです。
(可換なジーンズとは,裏表使用可能なのか,前後使用可能なのか)

ちなみに,ご存命です。(!)

生誕110周年

Googleのロゴで知ったのですが,ルネ・マグリットの110回目の誕生日ですね。

今,すごく好きな画家というわけではないのですが,中学校の時に美術の教科書で見て,一番最初に好きになった画家です。何にも考えていないような空とモチーフ。

にしても,奥さんと写っている若い頃の写真,すごくいい写真だな~

撮った人も上手いのかもしれないけど,(それほどすごく波乱万丈というわけでもない)お二人の生涯と合わせて考えると,なんだかすごく幸せな気分になる写真ですね。

2008年11月18日火曜日

笑ってしまったウィキペディア記事(その2)

あら,「テレビ山口 社屋」の写真が更新されている。。。

いずれにしても,「赤坂サカス」,「汐留シオサイト」というライム(ちぇけらー)な世の中,「山口山の中」を体現しているテレビ山口の社屋なわけです。

それはさておき。

べつのとある記事中に,
「また、地域の風水を破壊している可能性も危惧されている。」
と書いてあり,これまた爆笑。

。。。これは,ウィキペディアには珍しい高度な諧謔精神の表れと言えましょう。これがアンサイクロペディアの記事ならあんまり面白くないかもしれないわけで。

2008年11月17日月曜日

見に行きたい,っていうか見に行く

日曜日にぼんやりと「新日曜美術館」を見ていて,初めて知った作家(画家)の絵に大きく心惹かれてしまいました。(ときに『心惹く』なのだろうか,『心魅く』なのだろうか)

その画家は,ヴィルヘルム・ハンマースホイです。デンマークの作家です。

ぼくは,フェルメール,デ・ホーホなど17世紀オランダ絵画(黄金時代)が大好きなのですが,またそれとは別にエドワード・ホッパーも大好きで,これらの絵にぼくが共通して惹かれてしまうのは「空気」の描き方だと思っています。

んで,テレビ越し,インターネット越しですが,このハンマースホイの描く「空気」も好みです。こりゃあ,実物見ないと後悔する!!

国立西洋美術館で日本初の大規模回顧展をやっているじゃありませんか…うへ,12月7日までかよ…何とか見に行きてぇ。

もう一つは,ここ山口県立美術館で開催中の「運慶流展」。仏像です。以前も書きましたが,ぼくは仏像でも天部像が好きで,時代としては平安後期~鎌倉の時期の武士階級の台頭に伴って仏像の写実様式がどんどん完成していく頃のものが好きです。

運慶はまさにその時期の方ですな。

これはもう,見に行かないと。

芸術の秋,とかティンプーにおわします先日戴冠した若いブータン国王は容姿端麗で大人気らしいね,じゃなくて陳腐なことも言いたくなります。

2008年11月13日木曜日

tys

ってどんな略称だろ,と思っていたら,
「Television Yamaguchi Broadcasting Systems」
だそうです。

「B」はどこへ…??

。。。とWikipediaを見ていたら,
「テレビ山口 社屋」
の写真があり。。。

・・・・・・・

しばし絶句+爆笑。

・・・・・・・

山口は,良いところです。

2008年10月31日金曜日

ざっくり

という言葉の使用法にものすごく違和感を感じます。

この「ざっくり」という言葉を「大まかに」という意味で用いる,ということをぼくが知ったのは,去年の4月に給料をもらうようになってからで,それまで自分の周囲にこういう用法をする人は皆無でした。

どうもこの使用法はいわゆる一般的社会人というか,企業に属する社会人が多用するという印象を受けます。例えば,この「ざっくり」を大学の先生の口からは聞いたことはありません,うちの先生を除いて。

また,大学院の時の後輩の一人が,学生の時分は全く使っていなかったのに(すべからく(誤用)「大雑把に」あるいは「おおまかに」と言っていた),会社に入ってしばらくしてから再会した際には当たり前のように使っていた,ということもあります。

この使用法って一般的なのでしょうか?

ぼくは正直,語感がイヤです。

ぼくにとって「ざっくり」というと「何かが裂けたさま」を修飾する使用法だけで,その何かとは例えばキズのような,それも人間であったり他の動物・植物であったり,生体が裂けている様をイメージしてしまいます。とてもじゃないけど,良いイメージではない。かなり嫌な意味です。

ですので,「この件に関する経費は,ざっくり見積もって○○です。。。」とか言われると,なんだか落ち着かない気分になります。

例えば手元の広辞苑なんかみると,
『1.力をこめて切ったり割ったりするさま。また,切れ目・割れ目が深いさま。ざくり。「-と割れた傷口」
2.小石を踏んだり金銭をつかんだりした時の音。誹風柳多留(20)「-とつかんだ所を母押へ」
3.編み方や織り方が粗いさま。「-と編んだセーター」』
とあります。

1.はぼくが言っている意味ですね。
2.はなんとなく分かりますが,引用がぼくにとっては意味不明です。なぜ母?(→インターネットって便利~「誹風柳多留」が川柳の句集だと言うことが分かりました。でもこの一句は見つからず)
3.がぼくが違和感を感じている意味に近いんですかね。

いずれも,正確に「大雑把」という意味ではありません。

しかし,他にyahoo!の辞書(大辞泉)とかで調べると,確かに,
『3 大ざっぱなさま。全体を大きくとらえるさま。おおまかに。「取りあえず―としたところだけでも決めておこう」「―とした話し合い」「要旨を―ととらえる」』
とあります。

。。。と調べている間に『ほぼ日刊イトイ新聞』にたどり着きました。
ほほう。これは「オトナ語」なんですねぇ。(軽く皮肉っぽい調子で)

ぼくは,たぶん,今後使うことはナイ。

2008年10月30日木曜日

和訳本

以前,

「ランダウ-リフシッツはロシア語の原著で読めないくせに,『専門書は原著(英語?)で読め』とか極めて無意味なことを言う奴が多いせいか,最近は薄くてどうでもいい本ばっかり出回っていて,過去の日本語の名著あるいは外国語の名著の翻訳は次々と絶版になっていく。くだらない小遣い稼ぎの本書く暇があったら,名著でも訳したらどうだ」

と,どこぞに専門書の和訳に関する不遜極まりない駄文を載せていましたが,今でも基本的にその主張は変わっていません。

今日,専門書の和訳という仕事の一つの理想たる本を見つけました。

それは,
・カルマン・ブルゲル著,大瀧仁志,山田真吉訳「非水溶液の化学-溶媒和と錯形成反応」
という本です。

非常に丁寧な訳本です。例を挙げると,この本の5章は原著者からの依頼から訳者が全面的に書き直しているそうですし,また,とある最初の方の訳注で,
「Ra68,70の文献ではMCについては何も述べていない。著者の誤解であろう。」
と書いてあります。これは訳者が参考文献もチェックしているということでしょう。んで確かに「すべての文献を調査し,原著者とさまざまな議論を重ねた」と書いてある。

こんなに丁寧な訳本ってなかなかないね。とか言って実は最初のほうしか読んでないけど。

最近,Dattaの「Quantum Transport」が翻訳されはじめていますけど,これもすばらしい~。まだ買ってないけど。

2008年10月25日土曜日

EBK量子化

朝永量子力学の話をしていて,調べておこう,と思ったこと。
→Einstein-Brillouin-Keller量子化

量子カオスって何だろうか?

量子力学演習の授業を持っていたときのこと。どうしても解析力学の授業をやっておかなくてはならなくて,必死に勉強しなおしてまとめ直したときに,
「ハミルトン形式で力学を定式化しなおすと,古典力学と量子力学が一番近づくけど,やっぱり論理的飛躍があって,しかも出てくるのがシュレーディンガーじゃなくてハイゼンベルク方程式なんだよなぁ」
と確かに感じました。

そこで,つらつらと量子カオスのことやら,非線形な量子力学やら,時間依存ハートリーフォックの話やらを考えていたことも思い出しました。そのまましっかりとした知識を学ぶことなく,今に至ります。

こういうことって,考えたり調べたりするのはかなり楽しいんだけど,ぼくのようなヘタレの場合,研究でやるにはかなりの忍耐力と覚悟が必要です。

2008年10月17日金曜日

すべからく

の誤用を指摘されることって,すごく恥ずかしいことなんだ。。。

呉智英ってやはり感嘆します。

ちなみに,「すべからく」については正しい意味を理解してきた,と思う。
ちょっと自信なし…

2008年10月16日木曜日

今日,

また,「絶対A型ですよね?」と言われました。

「そうです」
「やっぱり」
「。。。ウソですけど」
「ええーー?じゃあB型?」

というのをもう2回(笑)繰り返した後,試みに徹底的に反論してみました。

「それはバーナム効果というんだよ」
「当たる本があることを示しても,それはすべての組み合わせの馬券を買っているようなもので,そのうち当たるのは当然です」
「それは予言の自己成就という心理的傾向です」
「風が吹けば桶屋が儲かる,って知ってる?」
「統計的主張をするには相関を示すことが必要です」
「そのように否定的な証拠に対してアドホックに逃げ続けると,いずれあなたの主張は反証不可能となり,科学的な主張が備えていなければならない性質を持っていないことを意味します。つまり,あなたの主張は宗教的信念の表明と変わらん」
「私の弟は血液型が変わりましたが,性格は変わっていません」
「それは確証バイアスです」

・・・・・・

無駄でした。

2008年10月7日火曜日

意外と分からないこと

もう15年以上も物理をやっていても,分からないことはたくさんあったりします。それも小林-益川行列の意味とか,南部-後藤のハドロン弦理論がうまく行かなかった理由とかじゃなくて,かなり身近な現象で,です。

例えば,最近頭を悩ませているのが,
「金属を接触させて電圧をかけると,それだけで電流が流れるのはなぜか??」
という疑問です。

ここで言っている金属とは,それこそバナナプラグとかワニ口クリップとかであり,それを別の端子(ターミナル)とかに挿したりはさんだりすることを接触と言っている。

これが,分からん。

こう,接合とか言われてしまえばすぐに分かるのですが…プラグをターミナルに差し込むのは,こりゃあもう接合なんて高級なものではありません。

つまり何が分からんて,微視的に見た場合何が起こっているのかが,分からんのです。メカニズムが分からんのです。良く目にするのは,プラグの金属の表面はざらざらしていて,相手のターミナルの金属の表面もざらざらしていて,結局は点に近い小さな面積で接触しているのだ,とかいう話だけど,これだけじゃ何の説明にもなっていない。

大体,接触ってなに??

どのくらいのスケールで近づくと接触なのだろうか?

人間の見た目で接触していても,実際には接触していない,なんてことはいくらでもあるでしょう。また原子レベルまで近づいてしまったら,それは接触というより,接合になってしまうのではないでしょうか。

じゃあ原子スケールより離れていた場合どうなるかっていうと。。。放電??・・・ってことは電極挿すのは放電を起こさせている?…何か違う気がするなぁ。放電ってのは絶縁破壊だから,何かメソスケールな用語な気がするし。ようするに,今の話だと局所的に空気が電離して電流が流れる,と。ありえな~~い。

となると,仕事関数か?…でも仕事関数そのものは真空準位とフェルミ準位との差だから,金属の接触とは直接関係無いような…

となると,仕事関数というよりは,表面の電子状態?・・・でも各々の表面電子状態同士が繋がってしまったらそりゃあ,接合だよ…

まだ調査中で良く分かってないのですが,やっぱりなんだかんだいってトンネル効果なんじゃないかなぁ,と予測を立てています。はずしたら恥ずかしいけど,分からないんだから勉強中なんだよね。

2008年9月27日土曜日

血液型

の話をされるのが,性格判断をされるのが,キライです。

「Aさんって○○型ですよね??」

と言われたとき,それが当たっていてもいなくても非常に気に障ります。
むしろ「○○座」(さそり座とか)と言われたほうがまだマシです。

かくもくだらない風潮は何なんですか?

ぼくの知識では,それぞれの血液型に伴う性格類型は,

A型:几帳面,細かい,責任感強い
O型:大雑把,八方美人(社交的)
B型:自己中心的,気分屋,個性的
AB型:2重人格,変人,気難しい

って感じです。まあ調べても大体こんなところですね。
どーですか,このB型とAB型に対する否定的なニュアンスは。虐げられてますね~~

ぼくは,実験するときは細かいところにも気を使い(そうじゃないと事故が起こる可能性がある),遊んだり飲んだり騒いでいるときは大雑把で八方美人的なところがありますが(そのほうがみんな楽しいじゃん),気分によっては独りでいたいときもあるのでみんなと離れて勝手に行動し(落ち込んだとき無理に明るくは出来ませんね,自己中心的なので),時々変人と呼ばれ,また表面上愛想良くしながらその実相手を陥れるようなこともします(マキャベリズムには裏表が必要です)。

さて,ぼくは,何型でしょうか??

ぼくは全く信じてないので,他人の血液型に興味がありません。もちろん自分の血液型は知っていますけども。だから誰か友達とかにその人自身の血液型を教えてもらっても,しばらくすると忘れていること多々あります。

んで面白いことに,ぼくの血液型を当てようとする人は大概「AかOですよねぇ,でもBかも」と言います。おうおう,それじゃ9割当たるよ。さらに,積極的に信じている人ほど外します

この間も「A型ですよね」ときっぱりと言われました。「そうだよ」と答えておきました。違いますけど。

しばしば,血液型性格診断や占いを日常会話の中での話題の一つとして取り入れるのはいいじゃないか,つまりそんなことにいちいち目くじらを立てるな,という主張を聞くことがありますが,それはリベラリズムあるいはまっとうなバランス感覚に基づく主張ではありません。

以前に,NASAの元宇宙飛行士が「UFO地球に来とるでぇ~」と騒いでいると紹介した記事を紹介した際も書きましたが(分かりにくい文章!),問題なのは血液型性格診断が「なんとなく正しいかも,根拠あるかも」という弱いレベルの信念として膾炙してしまっていることです。

「信じてんの?」と聞くと「信じてないけど,あるような気がする」という答え。これは「信じたい」と言っているのと同じです。何かポジティブに見える証拠が出てきたら,すぐに「やっぱりあったんだ!」となるでしょう。

「日常会話でしゃべるんならいいじゃん」という主張は,血液型性格診断のような,科学的には根拠が無く,コミュニケーションのやり方としても完全に間違っている信念を,弱くではあるが助長する態度をあらわすものだと思います。

血液型に限らず,そういう事例って多くて,ぼくは強くイヤです。
正直言いますと,こういうものは一刻も早く無くなって欲しいです。くだらなすぎ。

いわゆる「特定アジア」に対する日本人全般の表立っていない嫌悪感,これも血液型性格判断に対する人々の態度と根は同じだと思ってます。唐突だけど。

日本人の悪い癖という印象を受けます。「お前嫌い?」と訊くと「嫌いじゃないけど…」という感じ。いつか一気に顕在化するんじゃないか,と少々恐れています。

2008年9月23日火曜日

しゃちほこ

こっちに来てずいぶん経って,ふとうちから学校まで歩いているときに突然気づいたのだけれども,うちの周りの家,特に旧家のお宅には必ず,

しゃちほこ

が乗っています。

…これって結構不思議だと思う。

鯱といえば『尾張名古屋は城で持つ』の名古屋城の金の鯱にあるように,大体は城郭建築物に乗っかっているのが普通で,一般のご家庭ではあまり見たことがありません。

まあ,火事の際に口から水を出す,ってんだから,別に一般住宅にあってもおかしくないけど。

きっと何かいわれがあるんだろうねぇ。

平面波

なぜ「平面波」と呼ぶか。

それは等位相面が,波数ベクトルを法線ベクトルとする平面だから。

たとえば,
exp(-ikx)
がなぜ平面波をあらわすか,というと,この波の位相が同じ値を持つ面,すなわち等位相面は,
kx=一定
なので,これはベクトルkを法線ベクトルとする平面である。

だから平面なのである。空間に何か平面があるわけではない。もちろん例えば空気などを考えて密度によって色が変わるように細工が出来たとすれば,平面波を可視化することは可能であろうが。

これに対して球面波は,例えば調和球面波は,
∝ (1/r)exp(-ikr)
などと書くが,この場合等位相面は前についている減衰項は考えずに
kr=一定 → r=一定 (k≠0)
であるから,球をあらわす。

・・・・・・

どうも光学って光線(ray)と波動がかわるがわる出てくるので分かりにくいよね。

2008年9月20日土曜日

仏像

行って来ました,京都。

とは言え,『せっかく京都に行くんだからねえ』と,発表の準備も終わらないまま京都に前々日入りして,一日観光してしまいました。どこに行ったかと言うと,奈良。

法隆寺,中宮寺,興福寺,奈良国立博物館,東大寺に行きました。

いやー,すごいね。すばらしい。仏像。

基本的に木で出来ているのに,モノによっては千年以上経っているわけで,現存しているというそれだけでもすごいが,美術品としての造形美がすごい。一人でぽけーと口をあけたりニヤニヤしながら見てしまいました。何度もぐるぐる回ったり。

特に,興福寺の国宝館は素晴らしかったです。ちょー有名な阿修羅像を含む八部衆乾漆像も良かったし,乾漆四天王も良かった。他にこいつはすごい,と思ったのが,

・板彫十二神将立像
・木造天燈鬼・龍燈鬼立像

の二つ。特に鬼はすごい出来でした。

他の木造仏も美しく,迷うことなくグラビアを買いました。

ひとつ発見したこととして,ぼくは宗教心が皆無なので,動きの少ない如来像にはあまり心動かされないな,ということ。そんで,一番好きなのが動きの大きい仁王像・四天王像(天部像)だということ。つまり不遜にも自分の中仏像格付けをすると,

如来<菩薩~観音<<<天部像(明王含む)

となる。なので,法隆寺の釈迦三尊像や百済観音像はすごいなぁ,とは思いますが,ドーパミンが出るまではいかないらしい。もちろん例外はたくさんあって,中宮寺の弥勒菩薩は良かった~

四天王がなぜ好きか,というと,動きが大きいのも面白いのだけど,必ず踏みつけにされている邪鬼が良い(笑)。特に,たまにいるのだけど,踏みつけられながらあごを手において不貞腐れてるヤツがいて,そいつが何百年も不貞腐れているところが良い。

・・・・・・・

他に京都で滞在したホテルの近くに東寺があったので,東寺にも行きました。東寺って,あれです,新幹線から見える五重塔のお寺。京都をあらわすには大文字焼きしている山をバックに五重塔と町の風景書くのがベタでしょ?あの五重塔があるお寺。

ここは真言宗(東寺派)の総本山です。真言宗というと高野山金剛峰寺が有名だけども,ここも本流と言って良いかと。あんまり詳しくはないけど。

ここの仏像も素晴らしいです。真言宗なので密教であり,明王像がある立体曼荼羅というものがあります。こいつの造形が良い。降三世明王が良い。帝釈天の顔が良い。ここの四天王がこれまた良い。

とにかく良い。

・・・・・・・

余談。さすがに真言宗の総本山,真言を唱えながら真剣にお参りしている人が多いのだが,観光客もとりあえずお参りする。ぼくはお参りはしないで中をじろじろ見るだけ。すいません。このときちょっとした出来事が。

観光客風の二人連れがですね,お参りしてたのですが,お浄財して,拍手を打ったのですね。二拝二拍手一拝。

。。。それは神社じゃないのか?

ここで鼻で笑うような気分にもなりましたが,実はこの二人は敬虔な神道の徒であり,仏も神!なのかもしれないと考えてしまいました。多分違うと思うけど。

…と思う一方「あー,やだやだ,ぼくは自分自身宗教心が無いのに知識をひけらかして人をバカにしようとしているなぁ」と自己嫌悪にも陥りました。一人なので,ひけらかす相手も居ませんでしたが。

・・・・・・・・

にしても,仏像に話を戻しますが,やはり美術品としてすごいと思います。確かにミケランジェロのピエタ(聖ペトロ寺院のやつ)なんてぼくも好きですし掛け値なしの傑作ですが,平安後期~鎌倉期の仏像の写実性・精神性もこれまたすごいよ。

ミケランジェロの500年くらい前なのに,ぼくから見た場合ですけど,同じくらいの高みに達していると思う。古代ギリシア彫刻のような静的写実ではなく,動的写実+精神性。

某都知事がかつて「日本ではニュートンより前に関孝和が微積分を発見してんだ」とか言ってましたが,まあこれは事実に即していないダメな発言だとしても,仏像の素晴らしさは誇ってよいと思いました。

2008年8月30日土曜日

補遺(自己批判)

前回,
「S_0とS_1はいいとして,S_2とS_3に関してはおかしい」
とか書いていますけど,S_1に関してもおかしいね。

おかしくないのはS_0だけ。

やっぱり自分も分かってないんだね。

ストークスパラメーターの意味(続き)

前回に引き続き。

そもそもの疑問の出発点は,

「なぜ一般の偏光状態を記述するストークスベクトルの個々のパラメータを,『×○偏光の強度(差)』,例えば『直線偏光の強度差』という言葉を使って説明するのか? 直線偏光を二つ用意して強度差を見てもそりゃ一つの光の偏光状態に対するストークスパラメータとは何にも関係ないじゃないか!」

というもの。

いや,ま,慣れてしまえばなんとなく言いたいことは分かるのだが。

今回取り上げる本は6冊。

(1)ボルン・ウォルフ「光学の原理」
(2)鶴田匡夫「応用光学Ⅱ」
(3)土井康弘「偏光と結晶光学」
(4)辻内順平「光学概論Ⅱ」
(5)小塩高文・鈴木範人「応用光学Ⅱ」
(6)藤原裕之「分光エリプソメトリー」

さて,最初に。
前回推測した「Q資料」だが,おそらく
(1)ボルン・ウォルフ「光学の原理」
であることが判明。

購入したのは第7版の日本語訳で,Ⅲ巻99ページにこのような記述がある。

「変数s_0が全強度を表すことは明らかである。変数s_1は方位角θ=0°の直線偏光を透過させる偏光子を通った光の強度から,θ=90°の直線偏光を透過させる偏光子を通った光の強度を引いたものである。変数s_2もθ=45°とθ=135°に対する同様な意味を持つ。…」

確かにこの記述は,前回取り上げた文章と似ているが,この記述については全くもって納得いくものである。重要なのは
「方位角θ=0°の直線偏光の光強度から,θ=90°の直線偏光の光強度を引いたもの」
ではなく,
「方位角θ=0°の直線偏光を透過させる偏光子を通った光の強度から,θ=90°の直線偏光を透過させる偏光子を通った光の強度を引いたもの」
というまさに「偏光子を通った」という言葉の有無。

これかー,ぼくの弱い頭を混乱させていたのは。

前回「測定の側からの定義」(operational definition)にも言及したが,「偏光子を通った」という言葉が測定側からの定義(意味)に対応している。

例えば(2)鶴田「応用光学Ⅱ」について,199ページのストークスパラメータの定義((212)式~(215)式)下の文章だけ見ると,
「S_1は水平偏光優越分すなわち水平直線偏光強度マイナス垂直直線偏光強度」
とか書いてあって,ぼくを混乱させたものと同じ非常に分かりづらい記述である。

だが,前のページまでに「偏光器の透過軸を云々」と測定の側から,ここで「偏光強度」と呼んでいる量の定義があるので,「光の強度」(これは電場ベクトルの大きさの2乗)と「偏光強度」という言葉の示している意味が違うことが理解できる。

だからやっぱり「強度」の意味が違うんだ。

一方(6)藤原「分光エリプソメトリー」では,67ページ以降の記述について,「入射光強度」「直線偏光の光強度」の定義が明確ではなく,前回取り上げた河合と同様の「max分かりにくい」説明になってしまっている。直線偏光のジョーンズベクトルおよび45°回転ジョーンズ行列を使って,「強度→電場振幅」の変換も行っているが,「測定」に関する言及がないので,やはり分かりにくい。

任意の直線偏光を45°回転させた座標系(x',y')で見ても,それはそのままでは「45°の直線偏光」ではない。その先にx'およびy'軸に透過軸を持つ「完全偏光子」が無くてはストークスパラメータの意味を説明したことにはならない。

他の本については(4)辻内「光学概論Ⅱ」,(5)小塩・鈴木「応用光学Ⅱ」ともにストークスベクトルについては天下り。だが,混乱した記述は無い。

※ちなみにこの二つの本は結晶光学の入門書として分かりやすい。特に「法線速度面」と「光線速度面」の記述が良い。「結晶光学」は実に理解しづらい。

いずれにしても,ようやく納得行きました。

さて,最後に。

偏光を記述するやり方として,とりあえず(準)単色光に限るとして,ウォルフの「コヒーレンシー(可干渉)行列」がもっとも一般的だと思う。

当然ながら(1)ボルン・ウォルフ「光学の原理」にもコヒーレンシー行列が詳述されている。そのコヒーレンシー行列による記述法に等価なのが,ストークスベクトルおよびポアンカレ球による記述であり,ボルン・ウォルフには成分間の関係しか書いてないが,(3)土井「偏光と結晶光学」によればコヒーレンシー行列を単位行列+パウリ行列(これは完全系)で展開した係数がそれぞれのストークスパラメータに対応することが示せる。

ジョーンズベクトルとの関係については,ストークスパラメータに関係する偏光状態(垂直・水平・±45°直線偏光,左右円偏光)を抽出する偏光子に対応するジョーンズ行列を,ストークスパラメータの定義どおりに引き算すると,それぞれパウリ行列が出ることから,つながる。

ここには何か代数の世界があるはずで,ウィキペディアの英語版にはなにやら深遠なことが書かれていてすげえなぁ,と思うが理解できず。修行が足らんね。

※これは蛇足だけども,前回取り上げた「結晶光学」の138ページに
「土井は,2×2の行列が一般的に,パウリのスピン行列の一次結合で表され,ジョーンズ行列に対するこの一次結合の4個の係数がストークスパラメータになることを示した」
という文章があるが,この文章は

…じつにひどい。

2008年8月18日月曜日

備忘録(ストークスパラメータの意味)

「ベクトルSをストークスベクトルS=(S_0,S_1,S_2,S_3)としたとき,

・S_0は単色電磁波の電場の全強度

・S_1は同電場のx成分とy成分の強度差

・S_2はx軸となす角が+45°の直線偏光と-45°の直線偏光の強度差

・S_3は右円偏光と左円偏光の強度差

をあらわす」

という説明がある。例えば,ぼくが読んだ中では…

河合滋「光学設計のための基礎知識」(オプトロニクス社)
B. Schaefer, et.al, "Measuring the Stokes polarization parameters", Am. J. Phys. 75, 163 (2007).
(→でも良く見ると,preponderanceという言葉を使っていて「優位,優勢」という意味だから,後述のヘクトの「傾向」に近い言葉だね,これは。となると河合のみ?)

など。

ほぼ同じ文章なので,「Q資料」があるはずだが,どの本なり論文が最初にこの説明をしだしたか分からない。まあそれはいいとして,この説明は,S_0とS_1はいいとして,S_2とS_3に関してはおかしい,っていうか不親切だと思う。

ちなみに他の光学の本では,

ヘクト光学Ⅱ…S_0は入射強度だからいいとして,S_1~S_3は,対象としている光が,ある直線偏光(ヘクトは「P状態」と一般的に呼んでいる)にどれほど似ているか「傾向」を表す量である,と説明している。例えばS_2の場合,光が+45°方向の直線偏光(S_2>0の場合)と-45°方向の直線偏光(S_2<0の場合)のどちらに似る傾向にあるか表す量である,ということ。だからs_2=0だと直線性は無い。だから円偏光の場合はs_2=0。

結晶光学(応用物理学会光学懇話会編)…意味というより,測定からの定義。

E. Hecht, "Note on an Operational Definition of the Stokes Parameters", Am. J. Phys. 38, 1156 (1970)にも「結晶光学」とほぼ同じ定義が書いてある。

ボルン・ウォルフとかは持ってません。


疑問(というか不信感):ストークスベクトルは(単色)電磁波の任意の偏光状態を電場の強度で表現する。だから,その成分は電場の成分の時間平均で一般的に書き下すことが出来る。だから,当然ながら偏光状態を指定しない限り,個々のストークスパラメータは決まらない。それを一般式の段階で「S_2はx軸となす角が+45°の直線偏光と-45°の直線偏光の強度差」なんて言えるはずがない。

大体普通は強度は1に規格化してあるんだから,ある偏光の強度差を比べても,両方とも1だから,どんな場合でもゼロでしょ??

意味が分からん。強度差の言葉の意味がおかしいのか?

→これは,たくさんの偏光が重ねあっている光があってストークスパラメータの線形和で記述できたとして(インコヒーレント:ストークスパラメータは電場強度だから)…と考えても救われない。その場合,楕円偏光になるからである(ヘクト光学Ⅱ,p.138)。


→確かに,x軸に対して+45°傾いている直線偏光のストークスベクトル

S_(+45) = 2 (1,0,1,0)

から-45°傾いている直線偏光のストークスベクトル

S_(-45) = 2 (1,0,-1,0)

を引けば,

S_(+45)-S_(-45)=(0,0,4,0)

となって,S_2の成分だけは残るがね…

これを強度差と言っているのかな?


いずれにしても,ヘクトが一番分かりやすい。

2008年8月15日金曜日

63回目

ですね。

祖父は二人とももういませんが,話を聞いたことは全くありません。
両親から聞いたのは,帰ってきてからまったく人が変わってしまった,ということ。

二人とも酒の量が増え,暴れたことも多々あったようです。

確かに,二人とも戦死はしていません。無事に帰ってきました。

でもやっぱり人生が,あまり良くない方に,大きく変わってしまったんだろうな,という印象を受けます。
二人ともぼくや弟には優しかったので(母方の祖父はぼくが2才のときなくなっているから,弟は知らんけど),人間の本質までは壊れてなかったと思いたいところです。

いずれにしても,ぼくは戦争に行った人の中には,それから長生きして亡くなったとしても,やっぱり戦死したというべき人がたくさんいたんじゃないか,と思っています。

だから,靖国神社の存在は理解は出来ますが,好きじゃありません。桜は綺麗だけどね。

2008年8月5日火曜日

分かりやすいね

何がっていうと,投稿数。

5~7月は見事に3つ,4つしか書いていない。

さて,個人的な覚書。

①山本昌200勝素晴らしい!!

子供の頃から良く弟と投球フォームとか真似してました。うちの弟も山本昌が好きで,ぼくは右利きだけど,弟は左利きだからより真似し甲斐があったらしい。

苦労人が偉業を成し遂げると,もらい泣きするね。

②ソルジェニーツィン氏追悼

とか言って,ちゃんと読んだことがありません・・・
中学の頃から読みたいなぁ,とか思っていたのですが,なかなか踏み切れず。

映像を見ていていつも感じるのは,

「ソルジェニーツィンっていかにもロシアの作家,という風貌だよなぁ」

ということです。

大作家が亡くなって惜しい,というのもありますが,あのような雰囲気の作家は昨今見かけなくなっていることから,時代が変わっていることを感じます。

ちなみに非平衡統計力学やプラズマ運動論の分野で有名なクリモントヴィッチ(Yu.L. Klimontovich)という物理学者(故人)も「いかにもロシア!」という風貌でした。

どうもぼくはロシア的風貌に憧れがあるらしい(笑)。

2008年7月27日日曜日

メディアとUFO

やっぱり今のメディアの報道姿勢は問題ありすぎると思う。

最近,元NASA宇宙飛行士のエドガー・ミッチェルっていうお爺さんが「アメリカ政府は宇宙人の存在を隠蔽しておる」とラジオで発言して,大騒ぎになっているという記事が配信されました。

彼はアポロ14号で月に降り立ち,月面で槍投げを行った(どうでもいい情報だが),れっきとした宇宙飛行士だった方です。

そして,この記事には,典型的なメディア・バイアスがあります。

NASAの宇宙飛行士

アメリカ国立航空宇宙局という世界最大の宇宙開発・宇宙技術機関のスペシャリスト

宇宙のことなら,すごい権威

その人が「宇宙人が地球に来ている」と発言

こりゃあ,信憑性があるんでないかい?

という構図。

すごく問題がある。問題点は三つ。

(1)正直何を伝えたいのか分からない記事であるということ。
(2)エドガー・ミッチェルがどのような人物であるかについて,肩書き(しかもかつての)にしか触れていないこと。
(3)あたかも長年の沈黙を破って,突然言い出したかのよう印象を与えていること。

本当に何が伝えたいんだろう?…

こういうニュースって大概の人は「どうでもいいよ」という扱いをすると思いますが,こういう記事が本当に危険なのは,本ケースの場合「政府は本当は隠しているんじゃないか」的な考えをひそかに浸透させてしまうことです。

で,多分記事が意図しているのはそういう意識操作なんだな。

この国では野党の無知な議員と官房長官がUFOについて質疑とかやったりして,それが何か普通のことみたいに配信されたりして,そういう雰囲気作りをメディアが平気でやっちゃうことが空恐ろしい。

日常会話の中で,『やっぱり宇宙人て地球に来ているんじゃないかなぁ』とか言い出す人がいたとして,何でそう思うに至ったかをよくよく聞いてみると,このニュースのような記事がもとだったりする。

「NASA」という権威もそういうイメージ操作に一役買っている。

これが,

「認識科学研究所(Institute of Noetic Science)という超常現象・超能力の研究機関の共同設立者の一人であり,アポロ計画で月に行く最中もNASAとは関係なく超能力実験を行った」

とか,

「氏は,何年も前から同様の主張を行っている」

とかあれば,またこの記事の中身が変わってくるのだが。

メディアの前提として「嘘を書かない」のは当たり前であってこの記事にも嘘は無いのですが,「事実を隠す」ことによってイメージを操作するのは嘘をつくのと同程度に悪質だと思います。

2008年7月11日金曜日

祝?出版

そういえば,出ますよ,とあるすごい本が。KYOりつ出版から。今月29日発売です。

シュプリンガーに持ち込むも,出版リジェクトされてから1年超。
ついに日の目を見ることになってしまったんですね…

さて,この本に対してどうやって行動してやろうかなぁ。

2008年7月7日月曜日

霊能者

日曜日,霊能者に会いました。

といっても,なんていうか,普通にイメージするような霊能者(故Gボさんなど)みたいなのではなく,本職は新川にあるとある神社の宮司さんです。

いきさつはというと,とあるオーストラリア人(って名前すでに出てるから伏せる必要ないんだけど,なんとなく)に紹介されたわけで,神社の事務所にお邪魔してコーヒーやら(なぜか)揚げたてのコロッケなんかをご馳走になりながらしばし歓談いたしました。

最初は雑談だったんですけどね,ぼくが「液晶ディスプレイの研究やってます」みたいな自己紹介をしたあと,話は徐々にあちら方向へ。

いわく,
「わたしはね,見えるんですよ,あちらの世界が。目の前にはっきりと」
から始まって,
「とある工事現場に地鎮に行った時に,古代の人が出迎えてくれて…」
とか
「お城に行くと,城の人が当時の格好で案内してくれるんです」
などなど。さらには
「22世紀の科学は霊界との融合が必要で…」
と続きました。

字面だけ拾うと,率直に言って「うわっ」っという感じですが,その宮司さんがぜんぜん嫌味の無い人だったので,ぼく個人としてはそんなに嫌な印象を受けるということはありませんでした。もちろん,話を額面どおりに受けることは出来ませんでしたが。

さらに,「Aさんね(ぼくのこと),神さんがね,『液晶の研究している際に指先の怪我に気ぃ付けなさい』って言ってますわ」と預言されました。

さて,ここに事実として一つ言えることがあります。それはぼくがクリーンルーム内で液晶実験セルの作製をする際にさまざまな機械を扱う上に,注射針を扱うことが多々あり,また一ヶ月ほど前に不注意で配向膜ワニス入りの注射針を指先に刺してしまったことがあったということです。

ぼくは宮司さんに,「確かにこの間指先を怪我しましたし,危険なことは多いですね。気をつけます」と答えました。

その預言を受けているとき,一緒のオーストラリアンは日本語はある程度は分かるけど複雑な話だもんだからついていけなくて,「ねぇ,何を言われてるの??」とぼくに尋ねて来たので,こういうこと言われたんだよ,んで確かにぼくはこの間指先に注射針を刺しちゃったんだよ,と答えました。当然「すごい!!当たってるじゃん」となるわけです。

一つ目の問題。では宮司さんの預言は正しいのか。

結論から言うと,正しいとは言えません。

なぜか。

ぼくは確かに指先を怪我しましたけども,ぼくがそのことを伝える前に,宮司さんは「電気がびりっと流れるような,そういった怪我。電気関係」といっていました。至極曖昧です。

ぼくは「電気で怪我をするよ」と言っていると捉えました。でもぼくが怪我をしたのは電気のせいではなく,注射針を刺したからです

ぼくはその宮司さんの「電気で」という言をわきまえた上で,あえて「確かにこの間注射針を刺しましたね」と答えました。『だって,注射を刺しても電気が流れるような痛みがあるでしょ?』というところです。

預言者側は曖昧な言い方をしているのに,確かにあなたの言っていることは当たっているね,と聞いた側が勝手に相手に沿うように解釈をしなおしてしまう。

これは,『コールド・リーディング』と言われる霊能者の会話の手法に乗っかっているということです。

ぼくはえらそうにも,そういうことを知っておきながら相手に話を合わせてみた。

ここで,一つどうしても言っておきたいことは,ぼくはそういう手法を暴き立てて溜飲を下げたいとか,そういう意図はさらさらないということです。

宮司さんは地元で重要な役割を果たしています。それが彼本来の仕事だから当然といえば当然で,もしその宮司さんがそのような預言で人を惑わせたり,お金を稼いだりしているなら,ぼくの対応はまったく違ったものとなっていたと思います。その場で全力で相手をつぶす行為に出ていたかもしれません。そうなったら大変面倒くさい事態ですが。

しかし,ぼくはその日初めてその宮司さんにお会いしましたし,紹介してくれた方の手前でもあります。そんなことをいきなりするほど気が強くはありません。

それに宮司さんが嘘を言っているようにも見えなかったし,あえてぼくを混乱させるというような悪意も見えなかったので,そのまま話を沿うように持って行きました。

さてここで二つ目の問題です。ぼくの態度は正しいか。

これは,難しい問題です。

ぼくの信念としては,霊界というような超自然的存在は一切認めないし,そういうことを認めるのは生命の尊さに過剰な価値を付け加える行為であって,そういう存在を前提としなければ自分や他者が生きていることを認められない,最終的には自分可愛さにつながる力の無い思想だと思っています。

一方で,そのような存在を否定・排除することが,(現時点では)人間の文化の大事な部分を破壊する行為であることも分かっています。墓参りの無い日本なんて,さびしい。

だから,そのような行為・習俗・文化をかなりの程度無条件で尊重します。…もし,そのような側の人々が科学や科学に従ずる者を過剰な唯物主義として不当に攻撃することをしなければ。

これは,ドーキンスの批判するグールドのNOMA原理(Non-Overlapping magisteria)という「穏健な無神論者」に近い態度ですね。

といっても,前にも書いたとおり,ぼくは実のところ,立場としてはドーキンスに全面的に賛成です。宗教や超自然的なことを信じるのは有害であると思っています。

だから,難しい。

目の前に居る人を相手にして,その人が悪意が無く,またその言に救われている人がいるのに,そこを乗り越えて大批判を展開をすることは相当な犠牲を伴います…

結局のところ,ぼくはまだドーキンスほど腹が据わっていない,ということですね。

最後に,ぼくは確かにその宮司さんがすごい能力を持っていると思います。

おそらく,その方は半ば無意識に,ぼくの開示する限られた有形・無形の情報を瞬間的に察知し,そこからぼくに当てはまりそうなことを選択してしゃべるということを行っているのでしょう。

これは誰にでも出来ることではありません。訓練すればある程度可能かもしれませんが,自分自身をだまさなければ,ぶれない態度でそのようなことを言い続けることは難しいでしょう。

それは,ある種の超能力といっていいと思います。

超自然的な現象を前提としなくても,解釈できる能力ですが。

2008年6月27日金曜日

イギリスと磁場とカエル

発表の準備が何とか終わったので駄文をば一つ。

今日のお昼の会話中,うちの先生が
「ヨーロッパってすぐ実用にならないような研究を真摯にやりますよねぇ」
と言いだしました。いや,企業出身の先生なので当然の疑問かもしれません。

しかしぼくとSわ君はそれまで何の役にも立たない研究をやってきたので,「何をいまさら」+「日本ってそういう研究に冷淡だよねぇ」と,これまた紋切り型の反応をしてしまいました。

さて,その後「確かにヨーロッパはおかしいですねぇ,実はこんな研究が…」とぼくが言い出したのが四つ。

(1)マーフィの法則:「テーブルから落ちたバター付きトーストは必ずバターの面を下にして着地する」を理論的+実験的に研究。(実際にバター付きトーストを落としまくった。)
(2)磁場を使ってカエルを(生きたまま)浮上させた研究。(動画ありhttp://www.hfml.ru.nl/pics/Movies/frog.mpg
(3)ラトルバックの力学的研究
(ラトルバックってのは,カヌーみたいな形をした独楽のおもちゃで,くるっと回すとそのうち摩擦でだんだんと止まるのだが,一回停止した後,がたがた言いながらその後逆向きに回転し始めます。…えぇっ!重心周りの角運動量が保存して無いじゃん!!というシロモノ)
(4)水切り(平たい石を水面に投げてぴょんぴょん飛ばして回数を競う遊び)の流体力学
(英語ではstone skippingと言います)

で,(1)~(3)はイギリス,(4)はフランスの研究者によるものです。いずれも物理学の専門雑誌に掲載されています。ちなみに(1),(2)はイグ・ノーベル賞を受賞していて,ぼくはイグ・ノーベル賞の本を読んで知りました。もうひとつちなみに,「カエル浮上」の研究者の一人は「Berry phase」のSir Michael Berryです。ええーー

んで,こう,「イギリスってすごいよねぇ。フランスってのも納得だよねぇ」とかいう話になったわけです。そこで実際のメカニズムの話になって,「なんでカエルが浮くの?」とか聞かれるわけです。

・・・・・・・・・答えられず。

さっき調べました。

こういうことらしい。

磁場は単極子がないことを除けば静電場とほぼおなじ法則に従うので,Earnshawの定理が成立し,ふつうは磁場中に磁性体をおいても安定な点は見つけられない(磁性体二つの場合は,ひきつけあってくっつくか,反発して無限大まですっ飛んでいく)。つまり,磁場だけでものを浮かせることは出来ない。

しかしそれは磁性体が常磁性体か強磁性体の場合であって,反磁性体にはこの定理は適用されない。

反磁性はあんまりなじみがないけれど,実はすべての物質は電子を持っているから反磁性を持っている(ラーモア反磁性)。

反磁性の程度は物質によりけりで,普通はごく微弱だけど,その中で水はバルクで反磁性体である。(超伝導体は完全反磁性を持ってるが,これは今の議論の対象外)

生物は水が多い。

特にその生物が十分軽くて水をたくさん含んでいれば…

磁場で浮く!!

それならカエルだ!!!

ということで,カエルなのです。

(ちなみに,リニアモーターカーの浮上原理はまったく違います。それにしても「ジェイアール式マグレブ」って言い方ってカッコいいよねぇ)


がんばれば人も浮きます・・・・と言いたいところですが無理でしょう。なんせ,たかーい超伝導磁石を使ってがんばって20テスラなのに,カエルで16テスラ使いますから。また,このくらい超強磁場になるとニューロンに影響が出るみたいですしねぇ。

うーん。

2008年6月13日金曜日

現在

午前1時過ぎ。

いまだ測定中…

測定室の湿度管理のため,エアコン「除湿」をつけっぱなしにしているのですが,正直寒い…しかし,自分が言い出したことなので,止めるに止められず。

一個のサンプルの測定に20分以上かかるからなぁ…こりゃ2時過ぎますな。

2008年6月8日日曜日

ライター持込制限

東京まで行く時はほぼ100%飛行機なのですが,選択肢が二つあります。一つは最寄の山口宇部空港を利用することで,ほとんどの場合,ぼくもそうします。

もう一つは車で1時間ちょっと走って北九州空港まで行くことです。

近くに山口宇部空港があるのに,なぜ北九州まで行くのか?

それはスターフライヤーが夜遅くまで運行してくれているからです。東京→北九州の最終便が23:15発で,その一つ前が21:35発です。山口宇部の場合最終便が18:55発の全日空ですから,それよりも2時間以上遅くまで飛んでくれる。

さすがに最終便は利用しません。なんせ北九州に着くのが夜中の1時ですからねぇ。

あと,1週間以上前に予約しておけば,高速代+駐車場代を入れてもほとんど運賃は変わりません。

まあいずれにしても空港まで少々遠いですが,その分東京に長く居られるのでごくたまに利用します。

先日も北九州空港から東京へ向かいました。そのときのこと。

チェックインしてスーツケースを預ける場合,飛行機に載せる前にX線でチェックしますが,その際モニターをチェックしていた係員(警備員みたいな格好した人。警備員?)に,

「ライター入ってませんか?」

と言われました。あれ~?

「中開けてよろしいですか」

「どうぞ~,あ,開けます開けます。どこ?ここ?…あー,確かにありますねぇ。入れてたの忘れてました」

おそらく,タバコをカートン買いしたときおまけでくれた100円ライターですね。

「他にライターお持ちですか?」

「うーん,持ってますねぇ」

「どうしますか?」

「あぁ,処分しちゃってください。すみません」

そう,機内へのライターの持ち込みは一個までであり,ジャケットの中にすでに一個持っていたので,この不用意に出てきたライターは処分してもらうしかないわけです。

「あぁ,まだ一回も使ってないのに…でも今使っているやつのほうが火の付きが良いから,こっちにしよう」

とかぶつぶつ言ってたら,警備員さんが

「では,ここに処分了解のサインをお願いします」

と言って紙を差し出しました。はいはい。サインしますよー

ん?

その紙は一覧表みたいな形式で,その日ライター処分を了解した人のサインがずらずら書いてある…はずが,ぼくの前の数人は,サインをすべき欄に,

「サイン拒否」

と書いていました。ちゃんと名前を書いている人も何人かいますが,ぼく以前の数人を含めてサイン拒否をしている人が結構多い。

ぼくはこれを見た瞬間吹き出してしまい,

「はー,みんなサイン拒否してら~」

とひとりごちてしまいました。そしてサインした後,さらに

「何で拒否するんだろう?…良くわかんないな」

と言ってしまいました。すると警備員さんが苦笑しながら,

「ほんとうにねぇ(笑)」

と言いました。

ぼくはへらへらと笑って「じゃあお願いします~」とその場を去ったわけですが,きっとひと悶着あったんだろうなぁ,と想像してしまいました。

まったく,サインを拒否することに何の意味があるんだろう?

その理由の探求のためには,まず航空会社の方がサインを求める理由を考える必要があるでしょう。

「了解のサイン」ということは「本人の同意の下でライターを破棄したのであって,航空会社が強制的に取り上げたわけではない」ということの確認のためにあるわけです。これを拒否するということは「強制的に処分させられた」ということを主張したいということですか? たぶんそうでしょう。

そんでもって,賠償請求の可能性を残したいわけですね,百円ライターの。

(なぜ百円ライターだと分かるのか。高価なジッポなら,確かに賠償請求したい気持ちも分かるけど,ぼくだったら処分するのは嫌だからロッカーに預けるなり,車においてくるなり何か対処するなー。大体ジッポを二つ以上持つって意味分からん。だから,サイン拒否した人のライターが安いライターであることはほぼ確実です。)

でも本気で賠償請求するかね。百円だよ。しかもぼくみたいにカートンで買えばタダでついてくるよ。…ぼくなんかライター何本持ってるか分からないくらいです。

だからね,結局ライター取り上げられて口惜しいから嫌がらせがしたいだけなんだよね。抗議という美名の下に。

なんて器の小さい人物なんだろう…

そして,立て続いた後の人は,きっと前の人に追従したんでしょうね。意味の分からん追従。「こんな嫌がらせの仕方があるんだ」と発見した追従なんだろうか。「あぁ,いいんだ,これしても」。

これまた器の小さい…

恥ずかしくないのかな。いいじゃん,ライター一個ぐらい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ちなみに,この「機内持ち込みライターは一個まで」には法的根拠があります。

航空法により当然爆発物などの危険品は持ち込み禁止ですが,法律の条文自体には具体的な物品はあれ,個数の詳細なんかは書いて無いものもあります。しかし,その法律適用の線引きをするために「施行規則」に基づいて所轄大臣,つまり航空法なら国土交通大臣が告示をします。

「ライター一個」の記載は昭和五十八年(1983年)の「運輸省告示第五百七十二号」(当時は運輸省)の別表第18にきっちり書いてあります。

ここで見れます(pdfファイルです。258ページもある)↓
http://wwwkt.mlit.go.jp/notice/pdf/200702/00004801.pdf

つまり,「ライター一個しかダメ」は法律に基づく国土交通大臣の命令なんですね。

だから,拒否して持ち込めば捕まります。

こうやって国土交通大臣の後ろ盾があるんだから,航空会社だって強制的に取り上げたっていいんじゃないかな,法律のことは良く分からんけど。…しかし,それにしても告示が古いな。最近まで大目に見てもらってきた,ということなんでしょうね。

航空会社って変なところで客に甘いっていうか,もっと厳しくしてもいいんじゃないかと思います。

百円ライター一個でサイン拒否するバカは,いろいろと大目に見てもらっていることを感謝すべきです。こうゆうヤツに限って機内で携帯電話使ったりするんだよなぁ。航空会社も難癖つけて搭乗を拒否すればいいのに。

だから喫煙者の肩身がますますせまくなるんだよ…たのむからマナー良く振舞ってくれよ。本当にタバコ一箱1000円になっちゃうぞ。

2008年6月6日金曜日

書きたいこと

はたくさんあるんだけど,まったく余裕が無い。

書きたいことリスト
・チャペルでの挙式で外国人神父(牧師)が出てくるとコントとしか思えない自分
・合理性に対するダブルスタンダードとそれに堪えられない人種としての科学者
・KYという言葉

そーいや,何の脈絡もないけど,gnuplotのeps出力についての覚書をしときます。自分の使っているバージョンね。
・cdは"¥"はだめ。つまり"\"(バックスラッシュ)はダメで,"/"(スラッシュ)を使え。
・>set terminal postscript eps color
・>set output "(ファイル名).eps"
・>plot "(ファイル名).txt" with lines とか(←txtファイルの場合)
・> set terminal windows
で戻る。epsファイルがおなじフォルダ内に生成されているはず。

ここでこのepsファイルをいられで開こうとすると,コンバータがうまく働かなくてテキストファイルが見えてしまうことがある。
(まあepsはテキストファイルだから厳密には間違ってないんだけど,何か知らんが宣言文が間違ってるっぽい)

そこで,gsview32で一度このgnuplotが生成したファイルを開く。そんでもって再度別名前でgsview32からepsとして保存する。するとあーら不思議,いられで開けるようになる。

たぶん,いられが特殊なんだろうな。

ちなみに,ぼくも含めてgnuplotを「ぐにゅーぷろっと」と発音する人が多いと思いますが,gnuplotは「にゅーぷろっと」と発音するのが正しいらしい。"GNU is Not Unix"のGNUは「ぐにゅー」なんだけど,gnuplotはGNUプロジェクトのソフトウェアじゃないし,発音も違うようです。

これはSわくんに教えてもらったのですが,これがSわくんじゃなくて,いかにもコンピュータ詳しそうなやからに

「ちがいますよぉ,それは『にゅーぷろっと』って発音するんですよ~」

とか言われて勝ち誇られたりしたとすると,間違いなく殴りたくなりますな。

「LaTeX」は「らてっく」と呼んだって「らてふ」と呼んだってどっちでもいいってことになってるじゃんねー

2008年5月28日水曜日

仕事

今,何が辛いって,記事書きが辛い。

とある学会のニュースレター記事を書いていて,それは単なる学会報告で,ウェブ上にしか公開されないし,公開されたとしてもパスワード規制が掛かっていて,わざわざそこまでして見る人がいるのかどうかも怪しいし,加えてどうも会費未納のためかぼく自身はパスワードが無効になっていて見れないし,という記事のだが,これが,辛い。

何が辛いか。

(1)自分でも理解しているかどうか不安なこと・理解が浅いことを分かっているかのように書かなければならない,
(2)批判は当然書けないし,かと言って(1)のように理解が浅いのでポジティブなこともそれほど書けない,
(3)(1),(2)からも当然だけど,どうやっても公平には書けない(理解できないことは割愛するしかない)
(4)そして「書けねぇ~,他の仕事が~」といって優先順位を低く抑え続けた結果,締め切りを一ヶ月近くオーバーしている

からである。

頼むほうは気安くやるけどね,結構大変だよ,これ。

気安く頼まれて苦しんでいることのもう一つは,論文のレフェリーです。表面安定化強誘電性液晶って,レフェリーするほど知らんよ。でもまあ勉強にはなるし,相談しながらやればいいので,やります。これもかなり締め切りオーバーしているけど。

何らかの不特定な責任が発生する仕事って,漠然と辛いので困ります。

だから思うのは,メディアのコメンテーターってのが平然と出来る人って,すごいよね(皮肉

2008年5月27日火曜日

暑さと湿気

最近どうも調子が悪いのは,急に暑さと湿気が増して来たせいではないか,という気がしますな。

最近警備に鍵借りてるので,返しに行かなきゃ。

2008年5月21日水曜日

いかん

最近調子悪すぎ。

底力に欠けますな。

大体研究がうまく行かないときこうなるね。

2008年5月8日木曜日

苗字

たまーに,自分の苗字のヘンさ,特に漢字のヘンさに,実存主義的気持ち悪さを感じて(なんか最近哲学つながりが続いてる…),いろいろと調べてしまったりします。

読みはそれほど稀じゃないんだけど,漢字がね。旧字も入れると全国に1000人程度らしい。

んで,気づいた面白いこと。

その全人口うち,最大の割合である30%が,ここ山口に住んでいるということ。300人くらいは居るわけだ。しかも2位は神奈川・福岡・大分(10%程度)らしい。なぜ神奈川だけ飛び地?

(ちなみにうちの親父は4人兄弟姉妹唯一の男なので,親戚に同じ姓の人はほとんど居ない。大伯父の一家だけ)

割合2位の県で生まれ・育ち,割合1位の県で現在働いている…奇妙だ。実に奇妙だ。

・・・・・・・・・・・・・・・

とはいえ,未だ他人で同じ姓の人に直接会ったことがありません。

2008年4月28日月曜日

哲学の話に

関連するけど(するのか?),竹内薫が嫌いです。すごく嫌いです。

・ファイヤアーベントの焼き直しなのが嫌です。
(ファイヤアーベント自身は好きです。自伝もすごく面白い)

・アカデミズム批判をするわりには,マッギル大で素粒子の博士号を取得したことを(文脈に関係なく)書いたりするところが嫌です。

・専門家向けジャーゴンを無意味に使って実際以上の価値を見せようとするところが嫌です。例えば一般向けの書物の中でファインマンダイアグラムをさもすごいことのように書いたりする,など。
(ファインマンダイアグラムは無限級数をどう収束させるか視覚的に調べる道具であって,発明したファインマンはすごいけど,使わない人がそれを見せられても『あぁ,この項を拾ったんだな』なんて分かるワケが無いので,意味が無い)

・(文化)相対主義を主張するところが嫌です。
(相対主義を○○帝国主義(例えば『物理』とか『還元主義』とか『唯物論』とか)に傾きがちな論調のバランスをとるために用いているなら良いのですが,どうもアカデミズムや純粋科学に対するルサンチマンからのような気がしてなりません。)

・巨人ファンなところが嫌です。

ただし,竹内薫はメディアを利用することによって科学リテラシーの普及に努めているので,そこはすごく評価します。今のところアカデミズムの中でしか行動していないぼくは,自分の果たすべき役割を果たしていないのが事実ですから,忸怩たるところです。

痛み

お,思い出しました。

前回の記事で「痛みを探求」とか言ってましたけど,つまりこれは「痛みのクオリア」を何とか捉えてみようと試みていたということです。

「クオリア」って言葉が出てこんかった。

ダニエル・デネットは「クオリア」は認知科学に不必要な概念だと主張しているけど,確かに他者についてお互いのクオリアを交換する方法が現在のところ無いわけだから,クオリア自体を探求することに意味は無いかもしれない。でもそれはぼくの無知ゆえの感想であって,認知科学の最前線では活発な議論があるのだろうな。勉強したいけど,時間が無い,つまり能力が無い…

大学の初年度の頃はカント→フッサールという観念論→現象学が好きでした。意識や本質というものに関しては不可知論に近い立場だったわけですね。

今はどうかっていうと,あんまり変わらないな。ただ,不可知論は思考停止なので,よっぽどのことが無い限り選択しません。(文化)相対主義は憎悪を感じます。強い独我論はアホだと思います。

「私は独我論が真実だと思うんですけど,先生,どう思われます?」

とバートランド・ラッセルに質問した方が居たとか居ないとか。

客体の存在はほぼ無条件で真だと考えて,人間は主観的な方法のみでしか客体に迫ることしか出来ないことを認めつつ,過度に主観に価値を置かない。でも客体が何であるか知りたいので,主観と客観のぎりぎりのところを追い詰めて客体を捉えたい。そのために行う極めて誠実なアプローチこそが,科学だと思っています。だから科学をやっております。

いずれにしても,実のところ,哲学的なことを考える余裕があんまりないんよ。

2008年4月26日土曜日

げき☆つう

正確には一昨日の夜,激痛は突如来た。

この歯の痛みはね,最高級です。いままでいろいろと痛い思いをしてきましたが,ここまで痛くて耐え切れないのははじめてかも知れん。あまりに痛くて腹が立ち,夜中叫びましたからね。

次の日も痛かったんだけど,授業の間とか仕事している間はそれなりにこらえられる。痛みも弱いような気がする。緊張しているからなのかなぁ。

でもですね,夕飯を食べに行ってほっと座ったとたん,猛烈な激痛です。脂汗…。何で痛いのを我慢すると脂汗が出るんだ?意味が分からん。

あ,あと,痛いって感覚は痛い以外の何物でもないですね。痛いのを我慢しながら,痛いというのはどういう感覚なんだろう,と自ら探求してみるのですが,痛みに耐えるのみで「あー,痛いなぁ。腹の痛さとは違うなぁ」ぐらいしか分からず。夜になると目が見えなくなるし,早く解放されたい~という感覚しかありません。

んで,歯医者に駆け込み,緊急神経除去開始。怖いなぁ,と思いつつ,麻酔をされ,歯医者さんの

「痛かったら左手を挙げてくださいね~」

に「挙げても無視するのでは?」という恐怖。

がりがりやった後に,歯科助手さんが

「では神経抜きますよー。これ持って下さいね~」

とケーブルのついた変な棒を左手に持たせてきました。その瞬間,

「えー,こいつを左手に持たせるということは,ぼくはもはや痛みを主張することもまかりならんということか? 痛かったらこいつを思い切り握って耐えろ,という意味か?」

と恐慌に陥りました。

でも違いました。アースでした。今って,電気で神経を焼き切る?のね。

ぴっ,ぴっ,ぴっ,ぴー

となった瞬間に歯の中にある導線にぴりりと電流が流れます。

ほとんど痛くありません。でも痛くないわけでもない。なんか嫌な痛さ。前フリの「ぴっ,ぴっ,ぴっ」って音があるから「次ピリッと来る!」と覚悟できるので,これはいいですね。きっとこの音は装置の機能としては何の意味も無いだろうけど。

きっとこの神経を除去する新しい装置を開発したときに,

「これ音が無くていきなりピリッと来るとイやですね」
「じゃあ,機能としては意味ないですけどビープ音付けますか」

とか決まったんだろうな。

まさに人間工学。

そして,おかげさまで今日はほとんど痛くありません。歯医者も進歩している…

2008年4月24日木曜日

どうでもいいこと

ですが,

「海豚」が「いるか」で,
「河豚」が「ふぐ」で,
「河馬」が「カバ」なのは,

なんか納得いかん。

カバだけそのまんまじゃん。

まあ「海牛」は「カイギュウ」って哺乳類(マナティとかジュゴンとか)であり,同時に「ウミウシ」って変な生き物ですがね。

中川いさみの「クマのプー太郎」にこの話題に関連した一編がありました。中川いさみの4コマ,相当好きです。

やべえ

気がつきゃ十日も何も書いてなかった…

最近アホみたいに忙しい。

「忙しそうですよね~」とか言われても自分では「えーと,忙しいですねぇ」と言いたくないので,「雑用が多いだけで,身のあることはしてませんよ」とかしか言わないのですが,いくら事実だとしても,これもなんだか嫌味だよな。

ぼくはだれかれ構わず基本的に率直にものを言うので,人に拠っては怖いだろうな,と思います。

どうも「食べられる感」(?)「呑まれる感」(?)がするらしい。

結構小心者ですよ。

2008年4月14日月曜日

疲れた

今日は朝から宇部のホテルでプロジェクトの研究会。疲れたなぁ…

終了後,プロジェクト参加企業の人と測定についての打ち合わせ。4月の終わりに出張することが決定。試料作らなきゃ…

その後,懇親会には参加せず学校に戻って学科会議に出席。…とは言え,大幅に遅刻したので会議室に入って10分後に会議終了~

でした。

2008年4月13日日曜日

タブーと教育

勉強があまり出来なくて,かつコミュニケーションにも問題のある子達が結構います。

ぼくは医者ではないので,診断することはもちろん出来ませんが,しかし直接対応する教員として,その子がマジョリティ側のコミュニケーション法をとっている子なのか,マイノリティ側のコミュニケーション法をとっている子なのかは判断しなければならないと考えています。

そして,それはその子を「○○障害」であると判断することと同じです。

おそらくぼくはマジョリティ側なので,マイノリティ側の子に分かるようにコミュニケーションのやり方を変える必要があるのは自分だと思っているからです。

そのとき,ぼくは例えば「この子はアスペルガー症候群かもしれない」として対応するわけです。

しかし,このようなやり方は現在の日本では危険性を含んでいます。なぜなら,日本ではある人を精神的に普通ではないとすることは強いタブーとなっているからです。つまりその言われた子はおろか,言った人間も偏見を持たれる可能性が強い。

つまり誰もが「この子は普通(=マジョリティ)ではない」と思っていても,普通の子ととして扱うのが無条件に是であり,その子を特別に扱う人間(ここではぼく)は偏見を持っているとみなされ,「彼は差別主義者だ」と思われる。

だから,例えばぼくが学科の会議などで「○○君は広汎性発達障害であることも視野に入れてコミュニケーションを図るべきです」などと発言しようものなら,理解してくれる人もいるかもしれないが,みんな「こいつは危険なヤツだ」と思われるのが関の山でしょう。口にすること自体がタブーです。

しかしぼくはまったくタブーだと思わないし,むしろマイノリティの子たちにはマイノリティの方法で対応すべきだと常に思っています。そもそも差別も偏見も無いし。ですが,どうもそういう認識は少数らしい。

ここでぼくが問題だと思うのは,ほとんどの大学教員が発達障害や精神疾患に関してあまりに無知だということです。そして,そのようなことはすべて専門家の領域だと思っている。

もちろん,精神疾患の治療に関しては医師や専門家が行うべきです。しかし,発達障害に関しては教育に携わる人間のすべてが知識を持っていなければならないとぼくは考えます。

なぜなら,発達障害,ここでは主にアスペルガー症候群や軽度の自閉症を念頭においていますが,そのような子達がマイノリティなコミュニケーション法をとったとき,知識がなければこちらはそれを理解できないからです。そもそも発達障害の「障害」はその子達がマジョリティ側とかかわる際の「障害」です。

もちろん,きわめて良心的な人は,直感と経験から適切にコミュニケーション法を相手に合わせることが出来るでしょう。それでも知識があったほうがより適切に対応できるはずです。

これは相手が発達障害だと決め付けることを含むわけではありません。仮にその子が最終的に発達障害というレベルまでコミュニケーション困難ではなかったとしても,教育者側がコミュニケーションのやり方の幅を持っていることは何もマイナスにはなりません。

そんなことを考えて,試みに近くの人に話したりもしますが,なかなか認識が共有されることはありませんな。不満。

2008年4月9日水曜日

授業開始一日前で,こっちと東京で授業時間のずれがあって,学生が困る状況が勃発するという事実が浮上。

事務にその授業の時間調整のことで対応を尋ねたら,教務幹事を通せとか言いやがった…

そこを段取り踏んで,ぼくからの要請を一時的に回避することに何の意味があるか分からん。ぼくが言ったって教務幹事が言ったって,てめーらがする仕事は変わらんだろうが。

本部にどうすれば良いか対処を聞けば良いじゃないか。そもそも何で担当のぼくがその事情を授業始まる直前まで知らないんだ?

何のための学務課なんだ?

仕事しろや。。。

ここで解説しよう。ぼくの人間関係に関する基本的指針は以下のとおりである。

(1)初対面・初めて一緒に仕事をする人に対しては,

(a) まず礼節をつくす。
(b) 自分で出来ることはして,補完できることはして,相手の負担を最低限にするように対処する。
(c) どんな立場の人でも相手が上に立つように行動する。
(d) していただいた仕事には小さなことでも必ず最大級のお礼をする。
(e) 頼まれたことは,相手が何もしなかったとしても全力でやる。

このように行動した結果,大概は相手も自分も気持ちよく仕事が出来るようになる。そこから先はすごーく仕事がしやすい。人間的な信頼関係も生まれる。そこに甘えずほどほどの礼儀を保ったまま進んでいく。

(2)ただし,たまにどうしようもなく,無能かつ感性の欠如した人間が居て,

(a) 付け上がり,
(b) 自分が上だと勘違いする,か
(c) こいつは頼めばホイホイ仕事をするお人好しだ,と勘違いし,
(d) 自分の仕事を押し付ける,あるいはぼくが頼んだ仕事の優先順位を大幅に下げる。

という対応をとり始めるヤツがある。

あるいは,最初から仕事を回避することを身上(信条)としているヤツがいる。こういう場合どうするか。

・・・・・・・・・・・

私は,徹底的に,やり返します。具体的に言うと,ありとあらゆる手段,例えば権力を悪用してでも,つぶします。辞めさせます。恫喝も厭いません。自分の愚かさ・無能さを思い知らせてやります。組織に無能な人間は要りません。

ちなみに,この覚悟をした場合,たぶん命のやり取りまで考えます。ありていに言えば,刺し違えてでも相手を殺す覚悟でやります。もちろん,同時に自分は助かるようには策を練ります。

・・・・・・・・・・・

さて,この事務のアホの次の対応はどんなであろうか。それ次第によっては,残念な結果となることでしょう。

あー,なんかブログで怒りを発散してしまった。軽く自己嫌悪。

2008年4月8日火曜日

学校が始まると

なかなか書く余裕がなくなってくるね,やっぱり…

今年度の学会の予定:

6月終わり・・・ILCC 2008 チェジュ
9月半ば・・・液晶討論会 京都 申し込み:5月21日(水)~6月4日(水)
12月はじめ・・・IDW’08 新潟 アブスト締め切り:6月27日
来年3月終わり・・・応物 場所不明

いやー,最後以外は三ヶ月ごとだね。恐ろしい。
こうやって整理してみるとIDWの締め切り直後にチェジュ行きじゃん…

2008年4月6日日曜日

悲しみ

「ぼくはガーデニング王子」

ダメだ,涙が止まらん。鼻水になる。

9歳の時って最初に世の中に怖いものがなくて,楽しいものばかりである年齢な気がする。

小さいときは怖いものが多い。大人になると諦めと成熟で怖いものを抑えて生活できる。

ぼくの9歳の時は,弟可愛さのあまり小学校に連れて行ってしまったりして,学校関係者や親の迷惑省みなかったほど,ある意味自分勝手に楽しく行動していた。担任の先生から「ナルニア国物語」を借りて初めて「長い読書」というものをしたのもこの歳だった。

その弟に骨髄移植したのも同じ9歳のときだった。事前の検査で「HLA型が一致する確率は兄弟でも四分の一」と言われたけれど,一致することに何の疑いもなかったし,移植自体もまったく怖くなかった。入院生活はむしろ楽しいことばかり覚えている。もちろん,ある日隣の部屋の子が居なくなっていることもあったけど…

それからだんだん人間関係とか社会とか怖いものが増えていった。 そして27,8過ぎてから,いろいろなことを経験しすぎて,逆に怖いものがあんまりなくなってきた。でも,それは9歳の頃の「怖いもの知らず」とはぜんぜん違う。もちろん,毎日楽しく過ごしてはいるけれど,あの頃の「全能感」は無い。

だから,この子が畑仕事が楽しくて楽しくておこずかいを全部苗木に使ってしまったのもすごく良く分かる。

ぼくも,ばあちゃんちで畑仕事ばかりしていたことも良く覚えている。 それも,9歳の頃だったと思う。

なんて,悲しみなんだろう。

先日桜が咲いてない,とか言いましたけど,咲いてました。

昨日,夕飯を食べた後,先生とSわくんと近くの竜王山という桜の名所に言ってきました。

夜だというのに,またまだ肌寒いというのに,ちらほら夜の花見客が…もちろん東京に比べれば人も少ないし穏やかなものですが。しかも桜によってはもう3割がた葉桜に。

夜なので桜を楽しむというより夜景を楽しんでしまいました。竜王山の頂上から見る夜景はきれいでした。写真撮ろうかと思いましたが,すいません,やめました。

結構灯りが多くて,都会な感じがするけど実はねー,工場の灯りが多いんだね,これが。さすが工業都市。

2008年4月4日金曜日

お腹が減ると

不機嫌になるのは誰しもそうですが,空腹に限らず,ある人が不機嫌になったときその不機嫌の理由と程度で人の器が計れるような気がします。

まあ,「不機嫌の程度」ってのも「人の器」ってのも数値化は出来ないんだから,それで人の器をはかるといったところで結局八つ当たりくらったときの腹いせにしかならないんだけど。

でもねー,食欲に限らず自分の欲求を我慢できない人がいると,やはり周りは困るよね。

ぼくの場合,例えば空腹時は不機嫌になるというより元気がなくなり無口になります。睡眠欲は結構耐えられます。それよりも重度のニコチン中毒による喫煙欲求がやばいです。

ある若かりし頃,タバコを吸わずに7時間動き回っていたら,なんだか視界が狭いし世界は暗いしぼんやりするし,どうしたことだろうと思って,何とかしてタバコを吸ったら,とたんに視界が晴れて,そのとき

「自分ってヤバいな」

と思いました。

しかしですね,そのときもそれほどイライラとか不機嫌にはなりませんでした。…でもこれはぼくの器が大きいってことじゃないよ。

ぼくが不機嫌になるのは嫌いな人間とコミュニケーションをとらざるを得なくなったときです…これは無理。絶対無理。我慢できません。相当不機嫌になります。

思うに,空腹時には不機嫌になるけど,嫌いな人間とそれなりにコミュニケーションとれる人よりも,空腹時に不機嫌になることは無くても,嫌いな人間と会うと不機嫌になる人のほうが,人の器が小さいと思います。つまりぼくね。

ちなみに,我慢できない人を見てぼくがもっとも嫌悪感を感じた欲は,性欲です。その人間が周囲に巻き起こし,未だに尾を引いている人間関係の混乱に巻き込まれて非常に腹が立ちました。

性欲そのものを否定する気は毛頭ありませんが,自分勝手な性欲ほど下品なモノは無いな,と実例を見てつくづく実感しました。

1年経過

朝突然うちの先生に

「おめでとうございます!」

と言われ,何のことやら?と思っていたら,今日でちょうど赴任してから1年らしい。おぉ,そうなんだ。

月並みな表現ですが,この1年長かったような気もするし,短かった気もします。

液晶も知らなければディスプレイに興味もなく,ビジネスや特許の知識も皆無,そして実験物理の経験も無いところからはじめて,あたふた何とかこなしながら,いまだに手探りな毎日でござる。

思えば,1年前,突然話が決まるまでは酒屋でバイトをしようかと思っていました。漠然とどっかポスドク探さなきゃなぁ,と。

もちろん,いまだ将来が安定しているといえるかと言うと程遠いし,自分の性向から安定しようと思っているのかはなはだ心もとないので,その頃の「食いつながないとまずいぞ」心情と今とさほど変わりは無いのだけど,今こうして生活できるのは,やっぱり・・・・

みなさんのおかげです。

どうもありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

2008年4月2日水曜日

今日は

なんだか鼻が利かないなぁ,と思っていたら,今シーズン最多の花粉数がカウントされているのを見ました。それでも先週の関東に比べれば5~10分の1なんですが。

まさかこっちはこれから最盛期なのかなぁ? 確かに桜もまだ咲いてないし…ヤだなぁ

副業に行ってまいります。

2008年4月1日火曜日

言葉に対する感性

帰りの飛行機の中で,とある新聞を読んでいたのですが,そのとある新聞のとある記事の文章にどうしても腹が立つことがありました。

それは一面の下のほうに大概あるコラムで(なんでどの新聞も下のほうにくだらないコラムがあるんですかね。とかいいつつ楽しんで読んじゃうけど),アーサー・C・クラークの訃報に関する記事でした。

アーサー・クラークと言えば20世紀を代表するSF作家の一人で,アジモフ,ハインラインと並ぶ三大SF作家です。ぼくは恥ずかしながら他の二人に比べてクラークはそれほど読んでませんが…

いずれにせよ,このコラムはアーサー・クラークの作品の主題である科学技術と進化と,なぜか地球温暖化を絡めて何か書いているわけです。

でも,支離滅裂。何が言いたいか分からん。なんとか温暖化を止めようね,ということらしいけど。

んで,その意味不明な文章の中で,ネズミに道具を使うことを学ばせたという最近の理化学研究所の研究にも言及しているのですが,ここでぼくが猛烈に腹の立つ文章が書かれていました。

いわく,

「(ネズミも道具を使えることが分かった)…道具の使用は特別な能力ではない、などと言われると、残念な気がするのは人類のおごりだろうか

…おごりです。

なんだろうね,この,

「おごりだろうか,そうとは言えないだろう,みんな。だって人間ってどんな動物よりもはるかに優れた存在でなければならないからね」

と言っている文章は。

これがね,

「…道具の使用は特別な能力ではない,などと言われると,残念な気がするのは人類のおごりであろう

と書いてあったら,ふむふむ,なんか筆者の思想には問題あるけど,そこを自覚するだけのバランス感覚はあるじゃないか,と(上から目線で笑)理解することが出来る。

あるいは,

「…道具の使用は特別な能力ではない,などと言われると,残念な気がするのは私のおごりだろうか

と書いてあったら,あぁ,バカなヤツだな,これ書いたヤツは,で終わりです。

でも何なんだ,この時代錯誤もはなはだしい,かつ知性も知識も乏しい文章は?? 

問題点は三つ。

(1)このコラムを書いたヤツは,鳥や類人猿も道具を使うということを知らない。 道具を使う生物の実例はたくさんある。つまり,「道具の使用」は特別な能力ではない。そんなことも知らない。
(2)そして,あたかも人類を代表しているかのような論調で,「道具を使う」という人間の優位性(優位性じゃないんだけど)が失われるのは悲しいことである,という前提を置いている。
(3)自分の偏狭な思想を人類に普遍の思想だと思っている。

つまり,この筆者には科学の理解もなければ,生物の多様性の知識も無いし,思想のバランス感覚もない。加えてもっともチープな意味での人間至上主義が存在しているのです。

「人間は,道具も使えれば,火も使えるし,他の動物に出来ないことをやってのける,地球上でもっとも優れた生き物です。」

アホか。生物に優れているとか劣っているとかあるかい。仮に劣ったところがあれば絶滅しているはずだし,そういう意味では存在している生き物は全部等しく優れているんだよ。

多分「人間が進化の頂点にいる」というダーウィンの進化論のベタな間違いを犯しているのでしょう。

そんな程度の知識でなぜアーサー・クラークの訃報に関する記事を大新聞のコラムに書けるのだ?

まったく腹立たしくてならない。

こんな程度の認識のやつばらが大新聞のコラムを担当できるほどの地位に居る記者なんだから,ヘコむよね。日本の科学技術立国化がぜんぜん進まなくて,進むのは若年層の理系離ればかり,という状況は当然です。

・・・・・・・・・・・・・・・

まぁ,たいしたことじゃないからいいじゃないか,と思う向きもあるかもしれません。きっと忙しい最中に書いているんだから,推敲が足らなくて真意が伝わってないんだよ,と。

しかし,腹が立つものは腹が立つ。この文章から読み取れるものはぼくにとって腹立たしい思想ばかりであり,それがかなりの度合いの腹立たしさなのです。

そして,これがぼくの言葉に対する感性です。

だから一部の言葉をぞんざいに使う人間にもすごく腹が立つのだな。そういう人はぼくが怒っても,何で怒っているのか理解できないことが大半ですが。まさにその言葉に対する感性の違い,いや欠如のゆえに。

2008年3月27日木曜日

都内某所

現在,都内某所におります。立派な会社や~

発表の準備,未だ継続中…10分じゃしゃべりきらんよ汗

2008年3月26日水曜日

今日から

応物に行ってきまーす。

発表の準備終わってない…

2008年3月24日月曜日

苦情

先々週あたりから某財団といろいろとやり取りをしていました。

その財団との間で進めていた話は,今回は沙汰止みになったという連絡が今日あったのですが,その山口の事務所(?)からの電話が終わったあと,しばらくしてからそこの対応に対する憤懣がこみ上げてきて,ついにブチ切れて本部のほうに苦情の電話を入れてしまいました。

まあ,アンケートに答えた後の最初にかかってきた電話からしてなんとなくこっちの想像と違うというか,違和感を感じてはいたのですが。

どんな違和感というとですね,なかなか説明しづらいのですが,ものすごく画一的というかマニュアル的というか,すべて原則で処理しようとしているわけです。こっちの細かい事情に対する想像力の欠如を感じました。

んで,一番腹が立ったのは,いまいち理由が判然としなかったこと。(最終的には納得しましたが)

以下,初期のやりとりの抜粋:以下,Aが財団側,Bが自分。

(最初)

A「過敏性腸症候群ということですが,内服薬はなんですか?」
B「××です。でもこれは化学的に作用する薬じゃありませんよ」
A「ですが,医師の処方箋を服用されている方は原則として出来ません…保留にしますか?」
B「保留にしますかって意味が分からないんですけど」
A「1年間停止するということで…」
B「じゃあ,服用を止めれば話が進むんですか?」
A「そうですね」
B「では止めてみます」

その後,なんでその薬を飲んでいるか,という理由の説明。「ストレスからです」と答えたわたし。その後,では「服用を止めて一週間経過をみましょう」という話に。

********************
(4日後。一週間後ではない)

A「今回はこれこれの事情で中止になりました」
B「何でですか?」
A「他の方との話が進んでいるようなので…」
B「あぁ,そうですか」

ここで終わりなら何の不快さも無かったのだが,その後のやり取り。

A「その後,調子はどうですか?」
B「薬止めてですか? まぁ,腸はおかしくなりますよ」
A「そうですか…ストレスということですね」
B「何か問題ありますか」
A「この件はだいぶ精神的な負担も大きいので,…」
B「それは私がストレスに弱い,精神的に弱いから薬を飲んでいるとおっしゃるんですか」
A「いや,そういうわけでは」
B「じゃあ,今回はそういう理由で止めになったということですか」
A「いえ,そうではありません。今回は先方の事情です…ですが,こちらの医師もその薬が化学的に作用する薬ではなくても,慎重に行きたいとのことで」
B「何か理解しがたいな。何が問題なんですか? やっぱり私の精神的な強弱を問題にしているんですか? 大体過敏性腸症候群は体質の問題であって,精神の強い弱いは関係ないでしょう。それに,ぼくはすでに一回経験しているんですよ。(何も知らん方と同じ対応をする意味が分からない。どのくらい負担がくるか,こっちは知っているわけだし)。…だから,私が薬を飲んでいるから止めになったのですか,と訊いているんです」
A「いえ,今回は先方の事情で」

**********************

とにかく,何か知らんが,言い方が混乱しているのです。先方の事情で止めになったのか,ぼくが薬を飲んでいるから止めになったのか,それとも精神的に弱い人はお断りなのか,それが分からん。

結論としては止めになった,ということで,その場は電話を切って仕事に復帰したのですが,どうも後から怒りがこみ上げてきて,本部に苦情の電話しました。具体的には

「精神的に強い弱いを審査の基準においているのか?」
「過敏性腸症候群は治らないので,投薬を続けるしかないわけですが,それなら登録を抹消したほうがいいのか?」

という二点をたずねてみました。あとはどこに不愉快さを感じたのか,の説明。

まあこれ以上詳しく書くのは止めますが,マニュアル通りにしか対応できず,論理立てて話も出来ない人間を善意で成り立っている場のフロントに置く,というのは非常に問題だと思いました。

こちらも善意の押し売りをしているわけではありませんし,苦情を言うのは自己満足なので,本部に電話をかけるまでだいぶ逡巡しましたが,やはり印象が悪いままやり過ごすのもイヤなので,言いたいことを言ってしまいました。

2008年3月23日日曜日

応物

が近いので,連日CR入り。あほみたいに基板を使っている…

もう日曜日だぁ

金曜日何してたのかなぁ…と考えてみると,副業に行ってたんだった。そういえば。

2008年3月20日木曜日

さすがに…

一日6時間CRに居ると泣きそうになる…
腹減った~

ハイディンガーのブラシ続報

今日はいられを使ってもう一回見ることを試みました。

・・・・・・・

無駄に「新規書類」を作って眺めることしばし。

…そして,成功!!

これかぁ。…おお,顔をモディリアーニ風に傾けるとぐるぐる回るぞ~

・・・・・・・

えーとですね,片目で見たほうがよいです。

ぼくはなぜか右目より左目の方が良く見えました。そして左目の方が斜視気味だということが分かりました。軽く凹む。まぁ,気づいてましたが。斜視だから両目じゃ見えにくかったのね。

2008年3月19日水曜日

ハイディンガーのブラシ

液晶ディスプレイは,液晶の複屈折性を土台にして偏光をうまく利用しているディスプレイです。液晶ディスプレイからぼくらの目に届く光は必ず直線偏光しています。

ぼくは今まで,人間の目は偏光を感知できないもんだとばかり思っていました。

もし人間が偏光をはっきり区別できてしまったら,液晶ディスプレイとブラウン管ディスプレイ(CRTの発光は偏光していない)の画像はぜんぜん違うものになってしまうだろうし,液晶ディスプレイにも余計な偏光解消フィルムなどを付けなければならなくなってしまっていたでしょう。

一方,昆虫は偏光を区別できるということが知られています。タマムシの玉虫色に代表される構造色などは,昆虫が偏光を見ていることを示していると言われているようです。

このように!人間には見ている光が円偏光だか直線偏光だかわかんねぇよ,と思っていました。

しかし…

どうも人間にも非常に弱くはありますが,偏光を見る能力があるようなんですねぇ。これを知ったときはすごく驚いて興奮してしまいました。どうやって見るんだ??

どうも人間は偏光を感知すると,白い可視光に対してとある模様が見えるらしく,この現象はその模様を最初に観察した人にちなんで「ハインディンガーのブラシ」と呼ばれているそうです。

ウィキペディアに詳しく載っていて,

「液晶ディスプレイに白い画面を出して,じっと見つめれば,見える!!」

とか書いてありました。

そこで,Sわくんも巻き込んで「偏光見よーぜ」と相成ったわけです。

そして,30過ぎのの大人二人が真っ白な画面をそれぞれの液晶ディスプレイに映し出し,顔を近づけて,ぼんやりと画面を眺めました…

・・・・・・・・

「見えん」
「見えませんよ」
「…あ,見えた気がする。普通のTN液晶ディスプレイは斜め45度に偏光板貼ってあるから…」
「気がするだけじゃないすか」
「…うん,やっぱり見えないかも」

・・・・・・・・

いまいち手ごたえなし。
もう少し挑戦してみます。

れっつ・とらい

卒業式

昨日18日は卒業式でした。

謝恩会が新川のホテルでありました。学生さんがたが先生方に謝恩してくれるパーティです。このような飲み会ははじめての経験でした。規模の小さい大学ならではってことなのかなぁ。

ぼくはというと,年齢も立場もわきまえず,若干騒ぎすぎました。今日は軽く自己嫌悪。

研究室ごとの花束贈呈タイムってのあって,ホテルの大会場のステージ上で,ちょっとした感謝の言葉とか言うセレモニーです。ぼくも,うちの先生と液晶研究所長のK大先生に並んで,花束と卒研生たちが書いてくれた色紙をもらいました。感激~

その後,なぜかステージ上で胴上げされました…嬉しいねぇ。でも,なにゆえ?

なーんか,胴上げってのも初めての経験という気がするなぁ…けっこう気持ちいいもんですが,少し怖いね。

案の定,最後は半ば地面にたたきつけられ,さらにスーツおよびシャツがめくれ上がり,身動き取れない状況に。ステージ上でもがき苦しむぼくの姿が全教職員・卒業生の目にさらされるハメになりました…

・・・・・・・・・

その後,卒研生たちに,「なんでぼくなわけ?」とたずねたところ,返ってきた返答は…

「A先生(ぼくのこと)が一番丈夫そうだったんで」

(lll´Д`)

…まあ,確かにそうかもね。結構背中痛いけど。

・・・・・・・・・

そして,飲みすぎました。

2008年3月17日月曜日

液晶音頭

今日は学内のシンポジウムで,発表しました。クンドさんの発表の使いまわし…あぁ,次は自分自身の研究の発表をしたい。

そして自分のポスターをほったらかしにして,他の研究室の学生さんの発表を聞く。

ほーお,説明してくださいな。

え?OCBでVTとれんの?すごいなぁ…光学補償フィルム付けてんの? あれ? つけてない?…おかしいな…あぁ,これTNのセルじゃん! どうゆうこと? 

お,これはねぇ,言い方がちょっとおかしいよぉ。「OCB」ってのは液晶表示素子の動作モードのことだからね。「OCB液晶」っていう言い方はちょいおかしいぞ。

OCBってのはこうスプレイ状態に電圧かけてベンド状態にして,これがオフベンド,これがオンベンドで白黒出すのね。

…と身体全体を使って説明しているうちに,そのポスター発表をしている学生さんも説明を聞きながら一緒にぴょこぴょこ動き始めました。

すると,傍で見ていた別の学生のツッコミが入りました。

「なんですか,その動き(失笑)」

うん,今思いついた。これはね・・・

液晶を知らない人に動作モードをしってもらうための・・・

液晶音頭だ!!

TN,TN,OCB!~♪~ VA,VA,IPS!! ~♪~

さあ,君らも踊れ!!

と踊ってみました。

もちろん,元祖シュレーディンガー音頭の二番煎じです。すみません。

・・・・・・・・・・・

シンポジウム終了後,どこで聞きつけたか別の学生に

「○○さん,液晶音頭踊ってください」

と頼まれる始末。踊りましたが,まだまだ完成には程遠い。

「うーん,確かに動作モードは分かりますけどね…」

とビミョーな反応をされました。

「ムムっ…これは飽くまでベータ版です。完成版はネットで先行配信するので,もう少々お待ちください」

とお願いしました。

結構,本気で完成させようかと思っています。

すまん!!

どう見ても手抜きだっっ!!

2008年3月16日日曜日

違い

(1)いらすとれーたーが,思い通りの動きをしないとき 
⇒ あんまりイラっとしない。自分の勉強不足であることが分かっているからである。がんばっているとそのうち何とか思い通りになる。あるいは,正当なやり方じゃないかもしれないけど,解決策はひねり出せる。道具を組み合わせる感じなので,使いこなせてない感がつきまとう。

(2)わーどが,思い通りの動きをしないとき
⇒ ものすごくイラっとする。すさまじいストレスを感じるときもある。勉強する気にならない。がんばっても思い通りにならないときが多い。デフォルト設定のあまりのがんじがらめぶりにうんざりする。最初にいちいちそれを全部解除しなきゃいけないのが腹立つ。組み合わせるだけの道具が無い。使いこなす,という言葉が存在しないのではないか感がつきまとう。

いろいろ

煮詰まってきた…

明日の発表の準備まだ始めてない~♪

2008年3月14日金曜日

訪問客

午前中,隣の市の某高校から,1年生10数人が大学体験講座+見学にやってきました。高校はもちろんのこと,結構いろんなところから液晶研究所に見学客が来ます。商工会議所とか小学校とか。

ぼくは庶務課から要請されて,液晶研究所とデモ機の説明をしました。昨日は説明される側で,今日は説明する側です。最近いつもこの役目が回ってきます。

最初のうちは説明もあたふたでしたが,今となってはかなり手馴れてしまいました。でもなんかしゃべる側が手馴れちゃっていると,聞いているほうは機械に説明されるみたいで面白くなかったりするんだよね。距離感が出てきちゃうというか。だから多少は人間ぽくやるほうが良い気がする。

大体一通り説明して,質問タイム。

ここが,困る。

先日小学生が来たとき,液晶は説明するのが難しいので,少しでも身近なものから,といって

「液晶はイカの内臓からも採れます」

とか言ってイカの絵を使って説明していたら,質問時間ではイカの質問ばかり。

「一匹のイカからどれくらい採れるんですか?」
「イカ以外からも液晶って採れるんですか?」
「テレビの液晶もイカなんですか?」

(ノ ゚Д゚)ノ ==== ┻━━┻

こっちはイカの研究してるんじゃないんだっっ

…もちろん,丁寧に答えました。

「分かりません」
「イカの内臓から取れる液晶はコレステロール誘導体です。君にもコレステロールがあるはずだから,君からも採れるかもよ☆」
「違います。テレビで使う液晶は石油から作ります」

などなど。

今日の高校生諸君は慎み深い子達で,質問は出ませんでした。すると案内役のうちの庶務課のNさんが恒例の質問。

「そのデモ機はいくらですか?」

最近その質問必ずするやん,Nさん。

「はい。2億5千万円です。うしろに無造作にもう一台ありますが,合わせて5億円です」

・・・・・・

まあ大概驚きますわな。どこにそんなバカ高いテレビがあるかっちゅうねん。確かに市販のテレビより20倍程度速くておそらく世界最高速ディスプレイですけどね。

「…とは言え,道端で売り出しても当然誰も買ってはくれませんね。実際のところ,これは開発にかかった費用,つまり研究費ということです」

あぁ,またいたいけな生徒たちに大人の腹黒いところを…

えっと,新技術の開発にはそれなりお金がかかるということをご理解いただきたいわけです。

2008年3月13日木曜日

工場見学

今日は県内某企業に,来期の共同研究の打ち合わせに行って来ました。

卒研生のIくんがプレゼンをしてくれて,その話をその企業さんと一緒にやっていけるかはかなり微妙なんですけれど,企業さんは企業さんでやって欲しいこともあるみたいで,なんとかお互いやりたいことのすり合わせ,という感じです。

その後,工場を見学させてもらいました。

いやー,社会科見学って楽しいね。その企業は液晶パネルメーカー向けの製造装置などを作っていて,すごい大きなスパッタ装置などを精密に作っているところを見せてもらいました。かーなーり,すごい。そんなもん一枚の板金からどうやって作るんじゃい,という感じです。

技術力って実際に目の当たりにすると圧倒されるだけですな。

ひとつ面白かった(失礼)のは,正面入り口入ったところの大きな事務セクションの人から,実際にラインで働いている人から,全員が全員ぼくらに会うと

「いらっしゃいませ!!」

と挨拶してくることでした。うぅむ。微妙な違和感…

きっと,創業者による社内教育がそう規定しているのでしょう。山口県内では立志伝中の人らしいので。今日はお目にかかれませんでしたが。

2008年3月12日水曜日

研究室内が

有機溶媒の一斗缶やら大瓶やらだらけです。火事怖い…気をつけないと。

なんだか最近激しく時間が無い。

昨日はワケの分からんフォーラムに出なきゃならんかったし,今日は予算執行やら新規導入機器講習やらで,明日は県内だけど出張。そして来週は学内でシンポジウム。そうこうしているうちに応物学会が近づいている…まじぃ

あー

作業を途中で投げ出してしまった…
だって眠いんだもん。

こうやって一晩試料をほったらかしにして,測定結果が変わってしまったら怖いな…
実験の研究ってこういうところが怖い。

でもセレンディピティってこういうのから生じるんでしょ?
…って自分で言っていたらその瞬間にセレンディピティじゃないね。

帰ります。

2008年3月11日火曜日

時事問題

でもないけど,某研究室にあった備品↓



原材料名『防衛庁』ってどんなだよ…
しかも他はしょうゆだけ。(『小麦を含む。』の『。』が剛直な感じがしますよね。)
もしかしてしょうゆの缶詰なのか?


ちなみに,持ち出し禁止でした。

2008年3月10日月曜日

東京から

帰ってきました。

「ちーす」と研究室に入ると,待ってましたとばかりに卒研生が寄ってきて,

「これ,お土産っす。」

とあるものを渡されました。あぁ,お土産ねー。ありがとう。ん?

「早く作ってください!!」

作ってください?

↓ ↓ ↓ ↓





なにこれ?…ペーパークラフト?! 紙のもけい?

・・・・・

『絵で作る,おきなわ』

『作る楽しさ2倍! 雌雄1対入り』

『お部屋のインテリアに』

『お子様の自由研究の教材に』

『立体模型で学ぶ沖縄』

・・・・・

素晴らしい。最初のコメントなんてまったく意味が分からないよ。

・・・・・

『(シーサーの)材質は漆喰や焼き物で作られますが,本製品は気軽にシーサー作りを楽しんでもらえるよう,ペーパークラフトに仕上げました。』

・・・・・

なんて親切な。気軽にシーサー作りを楽しめるなんて。

そうか,気軽にねぇ…

…と,良く見ると…


・・・・・

『標準製作時間/1個・約6時間』

・・・・・


6時間!!


雌雄で12時間!!



これは…気軽に作れるかぁ!!

そして,別の卒研生がしばらく時間差をつけた後くれたもの。

↓ ↓ ↓ ↓





ΣΣ(゚д゚lll)



どうもありがとうございました…

「おれら居なくなるまでに作ってくださいよ」

はい。努力します…

2008年3月7日金曜日

利己主義

に対する嫌悪感がどうも普通の人より強い気がします。特に金銭が絡んだ場合の利己主義。

ものごとにもよりけりだけど,誰もが「あなたのその利己的行動はまっとうです」と賛意を表することが出来る状況ってのはたくさんあって,ぼくはそのことを理解することも結果を受容することも出来るんだけど,やっぱりどうしても嫌悪感を感じてしまう。

一方で利他主義は立派なことだと言われることが多いのですが,ぼく自身はまったくそうは思わない。人間誰しも,利己主義であるべき時には利己主義で無ければならない。

そしてぼく自身は利他主義云々というよりは,単に欲と言うものが致命的に欠如しているのではないかとコンプレックスを抱く次第です。



たとえば,今日のお昼の会話中。

学生支援機構(旧育英会)の規定によれば,ぼくは大学の教員でかつ学術研究者なので何とかすれば奨学金を返還しないで済む手立てがあったのですが,その手続きはとってなかったし,さらに大学院在学が長くて在学中に奨学金を返し始めてしまい,その資格は失ったんじゃないかと思っています。

だから研究者だけど返している。というかそれ以前に「返さなくてもいいかどうか」を十分に調べるということをしていない。

とそんなことを会話してました。そして,

「学生支援機構は財政がやばいから,返せるなら返そうと思って。…つぶれたら次の世代が困るでしょう」

と言ったら,「そんな意見は初めて聞きました」と言われました。つまり普通の人(会話の相手が普通の人かどうかはともかくとして)の感覚では,

「借金を返さなくても良い権利を持っているかもしれないのに,それを利用することを考えないで,他の人間のことを考えるのは,おかしい」

となるようです。確かにその論理はまったく正しいと思います。その分自分のお金が増えるわけですからね。(もっとも今回の会話の場合は,ぼくは返し始めてしまったのでその権利を失っているわけですが)

でもですね,ぼくはその「なぜお前は自分のお金を増やそうとしないのか」と暗に諭されることにすごく違和感というか嫌悪感を感じます。ぼくは今現在まったく生活には困っていないし,給料も十分すぎるほどもらっています。これ以上お金が欲しいとはそれほど思いません。

そもそも,お金よりも研究することに欲の大半が使われていて,その研究という自分の好きなことをしていいという状況自体がものすごい幸運だと思っているわけです。

これはまずうちの両親が定年まで健康に働いていたからで,両親の援助もあったからこそ,ながーい学生生活を送ることができたということがあります。

そして日本が豊かで平和だということもある。

それだけの幸運があるのだから,今の自分があるわけで,返したほうが良い借金を返さないという行動で自分の金を増やそうという気にはなれないのです。

ここだけ聞くとなにやら偽善の匂いがしますがね。

それに,大体今ぼくは助教で2年後には強制転職ですから,困窮して払えなくなる可能性もあって,そのときには払えないものは払えないので,払わなくなるでしょう。だったら払えるときに払うのが筋なんじゃないでしょうか?



とまあ,結局はぼくには物欲があんまりないので,金銭欲もそれほど無いということなのです。

統計力学と多体問題

隣の研究室の助教さんは,材料系出身なのですが第一原理計算に造詣が深くて物理のことも良く知ってらっしゃいます。昨日助教三人バカ飲み会に行く電車の中でのこと。

(もう一人の助教さんは一本前の電車で先に行ってしまっていました。時間や待ち合わせ等の連絡が適当だかんね。あ,あと,新川に着くまで一両編成の電車には,客はその助教さんとぼくの二人だけ。すごい)

「統計力学って何ですか?」

と質問されました。うむ?

よくよく話していくうちに,彼の質問はもっともだと思いました。

日本の物理業界では『統計力学』と『多体問題』がほぼ同義語に扱われていて,かつ『多体問題』と『電子相関系(弱結合・強結合問わず)』が同義語に扱われているような風潮があります。

彼は第一原理屋さんだから多体問題の勉強に苦しんだことがあって,ぼくが「統計力学の基礎が専門」とか言うと,その多体系,特に電子相関系の複雑なことを理論的に研究していると思っていたわけです。でもぼくは細かい技術なんてほとんど知らないし,研究に関して言うことはどうも彼の統計力学のイメージとそぐわない。

ぼくは答えました。いや,吼えました。

「統計力学と多体問題は違う!!○○さんが言っているのは多体問題なんだ!大体○○さんが勉強したMahanの本だって多体問題って題名でしょ!(正確にはMany-Particle Physics)」

「…この点誤解している人が多すぎる!ハバードモデルが統計力学のすべてだと思っている人がいるんだ!グリーン関数だけが統計力学じゃねーんだよ!!」

「何でそんな風潮が日本を支配したか…それはね,全部アンダーソンが悪いんだよ!」

「あとさ,半導体がひと段落ついているから後は量子効果入れれば良いって風潮もぼくは嫌いだ!」

「電子相関はすげー面白い。だけどね,世の中にはイントロで面白そうなことを書いておいて中身がありえねぇクソ研究もあって,そういう連中が統計力学の授業を持っていたりするから誤解がさらに広がるんだ!」

などなど。いきなり吼えられた助教さんに

「そんなに怒らないでくださいよ~」

と嘆願されました。そうですよね。すみませんでした。
もう一回確認しておきますが飲む前です。冗談と本気度は3:7くらいです。

2008年3月6日木曜日

帰ってきました

ので,おうちに帰ります。

もう24セル早いうちに作らなきゃ。

日付は変わったけど,

これからクリーンルーム行ってきマース

にしても,いつまで経っても薄膜がうまく作れない…運任せみたいで困るっす。

2008年3月5日水曜日

神楽坂消息筋によると

・監査に怒鳴られて,『すみません』とか言ったらしい。
・いよいよ懲罰委員会が立ち上がるらしい。

以前監査の人に「私怨ですか?」と尋ねられたとき,「私怨です」と答えた私。そりゃハラスメントなんだから,私怨でしょう。社会的制裁を要求できる私怨だって存在します。

うーん

調子悪い…

まあ,当たり前だけど。

実験のテキストの検討をしなきゃいけないっぽいけど,正式に要請が来ているのかどうかがいまいち良く分からない。年度の初めに言われた気もするけど,こっちは右も左も分からんのじゃけえ,真に受けていいんか判断がつかんわい。

あと今日○本ビク○ーの方が垂直配向セルの光学測定をするから手助けお願いします,と頼まれていたような気もするがなんも連絡がない。昨日飲んだからIくんは午前中は来ないって言ってたのに,大丈夫かな。彼を当てにしているのか…?

大学(の教員)ってこうゆうところいい加減でイヤ…

うれしいこと

三人,九人,また飛び立っていきました。それを見届けることができて,本当にうれしく,また彼らの今後に期待します。

ジムとも話したんだけど,教育する側される側という立場は厳然としてあるかも知れないけど,こっちが楽しく面白がっていつも会話を交換すれば,こっちが何も考えていなくてもすごいフィードバックをみんながくれる。こんな楽しくて幸せなことはない。

人は得てして見返りを求めてしまうけど,そんなことを欲する以上の,たとえば研究上の真理を追究する過程で,社会的な上下関係なく同じ真理に到達したもの同士の感情的な交流と,真理を一緒に鑑賞できる幸せがある。そして単純に感謝されたいとか褒められたいとかそういういう卑小な見返りを超えたお互いの感謝を生み出すんですな。

だから研究は,やめられない。

2008年3月4日火曜日

テロリズム

今の自分の知識の範囲内で判断するが,シーシェパードのやっていることは間違いなくテロリズムに基づく行為である。そして,なぜ日本のメディアがこういう行為に対して及び腰なのかが理解できない。

なぜ「環境テロ団体のシーシェパードが…」という報道をしないのか。劇薬投げたり爆雷使ったりして人命に脅威を与えることはおろか,汚染物質を撒き散らして局所的に環境破壊している連中だよ? 大体なんで彼らはエンジン付の高速船を乗り回しているんだ? そんなに環境保護って言うなら動力に油を使わないガレオン船で来たらいいじゃないか。

マスメディアは25年前に三浦何某に名誉毀損で訴えられて煮え湯を飲まされたことに対するくだらない復讐に時間を割くより,もっと伝えるべきことがあるだろうに。

2008年3月3日月曜日

そして

今日も飲みでした…

何なんだ,この集中っぷりは。

こっちに来てからほとんど飲む機会が無くなって,ごくたまに先生と二人で飲みに行くくらいだったのに,ここに毎日のんどる。今週は昨日を含めてすでに2日連続,明日もあってその次の次の日もあるらしい。

眠い。花粉も始まるし,黄砂はひどいし。

日曜日

に飲みすぎました。いや,量は飲んでないのですが,七時過ぎから翌一時過ぎまで飲んでました…しかもジムさん(オーストラリア人)と差しで全編英語。こう言うと,さも英語が出来そうな感じですが,9割方ジムさんが話してましたからね。頷いているだけでした。

おかげさまで今日は眠いっす。

2008年3月1日土曜日

終了!!

ILCC2008のアブストラクト,投稿終了!!
最後の最後でタイトルを変えてしまった…

まあとりあえずサブミットしておいて,不都合があったら後で修正しようっと(事務局側から見たらなんて困った思想なんだ…)。もちろん,慎重にやりましたよ。いい加減という意味ではありませんよ(と弁明)。不都合ってのは研究の中身以外のところで生じるものを想定しております…

線形応答理論と揺動散逸定理

ほとんど同じものとして扱われることが多いこの二つ。理論と定理を同一視すること自体既に不安を感じさせるが,世間的にはあまり問題にされないらしい。でも同一にみることは間違いとは言えなくてもミスリーディングではないかとぼくは思う。

線形応答理論ってのは,系に「ガン」と摂動を加えたとき,平衡揺らぎがどうやって減衰していくかを見て輸送係数(電気伝導度とか)を見積もる一般的処方であって,その輸送係数自体は系に付随する量だから一般的な状況における摂動の強さとかかけ方には関係ない。系にムチャな力加えても(線形)輸送係数は変わらない。見えないと思うけど。

輸送係数を平衡相関関数から見積りたければ特別な線形応答が見えるような摂動をかけましょう,という了解の下での理論であるといえる。そのひとつの結果がグリーン・久保公式。

そんでもって,線形応答ってのは広い概念でもあるから,線形応答理論⇒グリーン・久保公式でも,グリーン・久保公式⇒線形応答理論ではない。ここを分かってない人があまりに多い。線形応答理論とグリーン・久保公式を同一視することは間違いです。

一方で,揺動散逸定理ってのは,『今平衡状態だよね?』の確認をしてくれる定理であって,系と熱浴がひとつの示強変数を共有していることを保証してくれる定理である。ブラウン運動の理論自体は線形応答理論成立以前の話だけども,たとえば揺動散逸定理(アインシュタイン関係式)が無ければブラウン運動の理論に熱浴の温度は入ってこないから,ブラウン運動が熱平衡維持された状態で起こっているということが見えない。

ブラウン運動ってのは『ひとり相撲』のお話であって,粒子がエネルギーをもらう(揺動という形で)のも,あげる(散逸という形で)のも同じ熱浴相手ということの反映が揺動散逸定理です。ここには摂動やら応答なんて話は一切入ってこない。

これは一般化ランジュバン方程式に話を拡張しても同じで,揺動散逸定理の導出にエネルギー等分配使うわけです。これは熱浴との相互作用が単純じゃなくても,ブラウン粒子と熱浴が平衡状態ということ。

つまり,線形応答ってかグリーン・久保公式が無くても揺動散逸定理は議論できる。

もちろん,揺動散逸定理は線形応答が期待できる状況でのみ成立する。だから線形応答理論から揺動散逸定理が導ける。

揺動散逸定理の本質は『平衡状態の保証』だから,揺動散逸定理が適用できない系は平衡状態には到達していない系なのです。高分子溶液中の異常拡散とかもっと広くガラスなんかがその例。

名著「岩波講座現代物理学の基礎5 統計物理学」を何度も読むと,著者たちがこのことを深く認識していることが分かるです。だから揺動散逸定理を第1種と第2種に分けているわけです。ぼくが言っているのは第2種揺動散逸定理の方なワケですね。

そして同時に,線形応答理論=グリーン・久保公式=揺動散逸定理というミスリーディングを生み出してしまったのも,この名著であるというのがぼくの意見です。

ぼくがこの名著と認識が違うのは,第1種(グリーン・久保公式)と第2種のうちどちらを原理的に重要と見るか,という点です。第1種揺動散逸定理は確かに輸送係数を平衡揺らぎと結びつける式であってグリーン・久保公式そのものだし,線形応答理論の一般性をかんがみれば,重要だとは思います。でもぼくにはこれは揺動と散逸がバランスしているようには見えないんだな。系だけに着目していて,系が外部熱浴と平衡状態にあるということが隠れてしまっている。ぼくは統計力学は外部との特殊な関係を常に考える必要があるという立場なので,原理的に重要なのは第2種のほうだと思います。

まま,とにかく二つの話は結びついているとは言え,見ているところが違います。

話をもうひとつ付け加えると,どっちの話も厳密には「平衡状態のみ」を扱っているのだから,直接非平衡状態を扱っているのではありません。だから単純にLiouville方程式の高次摂動論を行えば非平衡統計力学が完成するなんて考えるヤツは,そもそも統計力学も分かってなければ平衡状態も分かってないし,線形応答理論も分かっていません。さっさと「非平衡統計力学」という看板を降ろしなさい。

ひさしぶりに

ガネーシュにカレーを食べに行きました。
んー,前よりナンが甘い気がする…このぐらいだったかな?

山口は食べ物はうまいのですが,味付けが少し甘口なんだよね…
ガネーシュのシェフ(スリランカの人)も山口風を追求したのか?

Iくん,食べすぎです。

ヒアルロン酸

を飲むと関節にいいのか?という質問を受けました。

「飲んだらどうして膝の関節の間に入るのか?ちょっと信じがたい」

と言われました。ちょうど「酸と塩基」の勉強をしているところで,脱線話の中で出てきました。

「アレニウスの定義ではうんちゃらかんらちゃら,ブレンステッドの場合はうんにゃら」とめちゃくちゃ基本的なことをはじめて学んでいるという意味において,ぼくも質問者も化学の素人なわけですが,それでこの懐疑的な態度はえらい,とまず思いました。

まあ確かに経口摂取ですぐに関節に到達なんていわれると,代謝もへったくれもないので「何言ってんだ?」と思います。

ですが,ぼくには知識がなく質問に答えられなかったので,調べてみましょうということで話が流れました。おかげさまで生化学に興味が湧いてしまいました。

2008年2月29日金曜日

アブストラクト

大体書いた。まず用語の使い方や言い回しを調べるところからはじめにゃいかんかったから,しんどかったなぁ。それ以前に英語がしんどい。こんなようじゃダメだな…。

そして隣の研究室の助教さんの褒め殺しに会う。最近毎日やー

さて,先生に送るとしましょう。

ビジネス本

って読んだことがありません。

あんまり興味がわかないっていうのもありますが,それよりもビジネス本読んで「決断の早さが大事」とかなんかそれらしい心得が書いてあったとして,それを読んだところで決断の遅い人が早くなるとは思えないので。

つまり,とある決断の遅い人が居たとして,決断が遅くてトラブルを何度を起こしていても,最終的に何とか処理できてしまったら,そもそものトラブルの発端(ここでは決断が遅すぎたこと)をその人が省みるかどうか非常に疑わしいし,逆にそういうトラブルの無いところで(たとえば休日にコーヒー飲みながら)そんな本読んでも効果が無いと思うからです。

何かを自分自身の実感として捉えるには,まず経験が無いと無理だし,次にその経験に対する感性がないと無理です。

絶対的に経験が足りない人はその不足のせいでその場面を想定されても理解できないし,感性の無い人はまさにその経験していてもやはりどこが重要なのか理解できないでしょう。

逆に感性のある人は,したことが無い経験でも,自分の経験のうち近い状況で起きたことを類推してそれを軌道修正しながら新しい経験を得ることが出来るだろうし,あるいは最初は余裕無く出来事に身をゆだねていてもあるとき「ピーン」と「これは重要な経験なんだ!」と勝手に気づいてしまうでしょう。

だから最後は感性とか言ってその人個人の性格の問題になってしまうので,駄目な人は駄目なんじゃないかと思うわけです。

そういや

卒業研究発表会が無事終わりました。うちの研究室の連中は堂々と発表を終えました。発表自体は何の問題もなく,うちの先生も言ってましたが学会発表といっても十分な出来栄えでした。いろいろな方から褒めていただきました。

質問については,質問と回答がかみ合わない場面が見られてしまったので80%くらいの採点かな。でもこれは必ずしも発表側の学生さんがたの手落ちとはいえません。

研究内容について質問されたとき,学生さん側からみると質問する側がえらーい先生ばかりだから「きっとまともな正鵠を得た質問をしているに違いない!」とか思い込んで必死に何とかしようとするのですが,そもそも質問自体が意味不明なことが多いので,答えられなくて当然です。そのときは「はァ?」とか言ってやればいいんです。

大体,ほとんどの先生は専門外なんだから,質問も勘違いから発するということが多々あるわけです。時々専門外で何もわかっとらんのにえらそうな態度で質問する人がいるんだよね。人前で発表するのがほぼ初めてというくらい余裕のないみなさんが,その態度で動揺するのはよく分かります。でもね,まわりの人たちは「何ワケの分からん質問してんだ,この人?」とちゃんと分かってますから,大丈夫ですよ。

ぼくもですね,だいぶ勘違いな質問をしてしまいました。Rashbaのspin-orbit相互作用の役割を完璧勘違いしてました(RashbaっていうかDresselhaus相互作用ですが)。質問に対する答えはもらえました。

言い訳をすれば,ていうか難癖をつければ,もう少しデータを整理して的を絞った発表をしてほしかったです。半導体量子井戸におけるRashbaのαを反弱局在効果を見て見積もろうとしている,ということを最初に言ってくれれば良かったと思いました。そうすりゃいろいろと説明の順番も決まるだろうに。

ただ,それを言っちゃあ3~4年前の話になってしまうようですが(後で調べた結果)。

2008年2月28日木曜日

ILCC2008

のアブストラクトを1日までに書かにゃいけん。カンファレンス自体は6月の終わり。

そんでもって発表までに特許の出願書類も書いて揃えにゃいけん。特許の知識なんて皆無なので,あわてて本を買いました…

ふむふむ。

知財って大事だね。にしても,去年まで自分が特許申請するなんて思いもよりませんでしたよ。

でもな,これ実際に実験したり測定したのは卒研生だし,メカニズムについては先生も交えた三人で考えたわけだしね。そりゃ彼が実験の最中に感じてた印象をとことんまで調べなさいって手助けしたのはぼくだけど,実際の発明者は彼だよね。そう書こうっと。

朝のニュース

で,若い父親がまだ生後間もない実子を虐待の末,殺したという事件を扱っていました。

事件後どこからか隠し撮りされたその容疑者の映像が流れていて,本人は撮られていることに気づいていないようなのですが,事件後なのに一人で「ニヤリ」としていて,気味悪さが際立つ映像でした。

でもですね,ぼくはこうゆうのがメディアのイメージ操作だよなぁ,とも思ったわけです。



しかし!



その容疑者が連行されるとき着ていたトレーナーの文字が

「Minor Problem」

とかでかでかとか書いてあって,その方がよっぽど気味悪いと思ってしまったのでした。

・・・・・・・・・

前日東京の友達から突然電話がかかってきて,昨年の10月に誕生した息子がかわいくて仕方がないといった話を仕事の愚痴とともに聞いたこともあり,なんだか朝から暗澹たる気分になりました。

2008年2月27日水曜日

イージス艦が

漁船に衝突した事故のニュース,泣いてしまいます。



夜中の壇ノ浦の逆巻く海を思い出します…



同僚の漁師さんたちが稼ぎを後回しにして連日捜索していたのを見るとね。

今年の

卒研生のポスター発表は本日で,口頭発表は明日です。

今年の学生はみんな優秀や…特に口頭発表の連中は発表に貪欲。すばらしい事です。想定質問をいくつも考えていて,「そんな難しいこと誰も聞かんよ」とか言っても「もし質問されたらどうするんですか!どう答えればいいんですか?!」とか食い下がるし,時間内に終わらせるために何度も何度も練習しています。

いや,本当に今年の学生は素晴らしいです。マジで感激してます。だから励ます気にもなるし,質問されればとことん答えようと思います。

多分,こうやって自分の研究をまとめてきて,毎日のように新しいことを理解して,研究というものの面白さに目覚めつつ,そんでもって発表が不安なんだろうなぁ。断片的だった知識が一気に関係付けられて統一的な描像が見えてくる日々。みんなぎゃあぎゃあ言いながら楽しそう。

みんなほとんど就職しちゃうので,最後は気張ってやろう,というのもあるかもしれんが。

ただ,「『TKTU研の笛』を吹いてくれ」(=有利な時間配分をしてくれ)とぼくに頼むのはやめてください。そんなことしてばれたらSず先生に殺されます。

卒研発表初日

朝から口頭発表セッションの司会でした。

さて,通常は司会の助手としているタイムキーパーがいないので,自分でキッチンタイマー二つもって,時間が来たらベルを「ちーーん。」と鳴らさにゃいけん。

最初に「発表時間は10分です。8分で予鈴を一回,10分で2回鳴らします。その後は質問時間です」と意気揚々と言ったものの,新しく支給されたキッチンタイマーの使い方が分からず,なぜか5分たったところで「ピピっ」とか結構でかい音を出しよりまして,「ビクっ」となってしまいました。あぁ,5分毎に鳴るのね。

とか学習した割には新しい発表でタイムキープするたびに5分で鳴るタイマーにびっくり。

…ふー

ってか…

その夫婦円卓問題について近似式の評価をしているの?それともアルゴリズム開発?

「画像圧縮の新しい方法」とか言われてもなー…

えー,音が小さいからノイズ?ノイズかどうかスペクトル分解して判定しないで単に強度で足切りするんの?

フラクタル図形をフラクタル画像圧縮したらどうなるの?…え,分からん?

こっちが分からんて。

情報系の発表は難しい…「こうなってくれると嬉しいのでこうしました」ってのをはっきり言ってくれるとありがたいんだけどね。

2008年2月26日火曜日

リタデーション

とか言うけど,基本的には透過光強度を最大にするためにそういうことを考えるわけだよな。なんで第1ピークじゃなくて,第2ピークでセルギャップを算出したんだろう?

やはり2ミクロンは狭すぎだから?

理由はわからん

Sわくん到着

Sわくんが到着しました。山口宇部空港で彼のいつもの姿を見るのは非常に奇妙です。 何しにきたんだ,と素で思いました(働きに来たんです)。

布団とか買って,新宅へ。…っておい。広すぎだよ。何人で住む気だよ。

でも家賃はぼくのところとあまり変わらないんだよね。

大家さん…ちょいと不思議な人でした。地下足袋で塗装屋さんの格好して,えらいこだわりのある話をされました。マンションの名前の由来とかね。ですが,話が…

外は寒いです…

…そろそろ学食が閉まりそうなんですが。

高齢化社会へのひとつの処方箋を力説されて,確かにいろいろと削減できるかもしれませんが…その提案は若い世代からは提出することはできませんよ…

応物

学会員の登録をした。最近全部ウェブで出来るね~

ちなみに,物理学会は会費未納で除籍されました。
ハズい。

2008年2月25日月曜日

しゃっくり

第一食堂で夕飯を食べていたら,ある研究室の助教さんがしゃっくりに苦しんでいました。どうやったら止まるか?とか,子供の頃に比べて大人になってからってしゃっくりにならないよねぇ,とかいう話。

ご飯が来ればみんなそっちに興味が集中して,いつしか別の話題に移っていきましたが,ぼくは黙って「しゃっくりが止まらないと,死ぬ」という言葉について考え続けておりました…

そしてひとつの結論に達し,突如おごそかに宣言しました。

「『しゃっくりが止まらないと,死ぬ』,というのは論理的に100%正しいです。ですから,○○さん,絶対にしゃっくりを止めてください!!」

もちろん,理解されませんでした。「何言ってんだ,こいつ」と思われました(と思います)。

しゃっくりが止まらないと死ぬという言明は正しいです。そして,しゃっくりが止まったとしても,人はいつか死にます。

卒研

の時期ですな。毎日どうにかして学生さんたちの質問をこなしてます。

さて,口頭にせよポスターにせよ,みんなそれぞれの研究内容をまとめたプレゼンテーションファイルを持ち寄ってきてぼくら教員の修正を求めてくるわけですが,その中には頭を抱えてしまうようなものもあるわけです。そんなとき,どう対処すればよいか。

ぼくはかなり短気なので,すぐに頭に来てしまう。露骨に不機嫌な顔をしていると思います。頭ごなしに怒りたいこともあります。院生の頃はよく後輩を怒鳴ってました。

さて,そのような完成度の低い,あまりにもプレゼンというものを理解していないプレゼンに対して,その作成者当人に「こう修正したら?」というよりは,自分で書き直したほうがはるかに効率的なのも事実です。しかし,教員となった今,学生に修正させるのが教育者たるもの。しかし腹が立ってはどうしようもない。途方にくれるのは時間の無駄だ。こんなときどうやって怒りを抑えて修正を続けるか。

その処方:
(1)発表のプロトタイプを頭の中に常に持っておく。
(2)感情に対処する方法として重要なことは,必ず二人以上で相手するということ。望ましくは同格か格上あるいは格を気にしない,穏やかな人が良い。(これはぼく限定)

という結論に達しました。