2008年10月31日金曜日

ざっくり

という言葉の使用法にものすごく違和感を感じます。

この「ざっくり」という言葉を「大まかに」という意味で用いる,ということをぼくが知ったのは,去年の4月に給料をもらうようになってからで,それまで自分の周囲にこういう用法をする人は皆無でした。

どうもこの使用法はいわゆる一般的社会人というか,企業に属する社会人が多用するという印象を受けます。例えば,この「ざっくり」を大学の先生の口からは聞いたことはありません,うちの先生を除いて。

また,大学院の時の後輩の一人が,学生の時分は全く使っていなかったのに(すべからく(誤用)「大雑把に」あるいは「おおまかに」と言っていた),会社に入ってしばらくしてから再会した際には当たり前のように使っていた,ということもあります。

この使用法って一般的なのでしょうか?

ぼくは正直,語感がイヤです。

ぼくにとって「ざっくり」というと「何かが裂けたさま」を修飾する使用法だけで,その何かとは例えばキズのような,それも人間であったり他の動物・植物であったり,生体が裂けている様をイメージしてしまいます。とてもじゃないけど,良いイメージではない。かなり嫌な意味です。

ですので,「この件に関する経費は,ざっくり見積もって○○です。。。」とか言われると,なんだか落ち着かない気分になります。

例えば手元の広辞苑なんかみると,
『1.力をこめて切ったり割ったりするさま。また,切れ目・割れ目が深いさま。ざくり。「-と割れた傷口」
2.小石を踏んだり金銭をつかんだりした時の音。誹風柳多留(20)「-とつかんだ所を母押へ」
3.編み方や織り方が粗いさま。「-と編んだセーター」』
とあります。

1.はぼくが言っている意味ですね。
2.はなんとなく分かりますが,引用がぼくにとっては意味不明です。なぜ母?(→インターネットって便利~「誹風柳多留」が川柳の句集だと言うことが分かりました。でもこの一句は見つからず)
3.がぼくが違和感を感じている意味に近いんですかね。

いずれも,正確に「大雑把」という意味ではありません。

しかし,他にyahoo!の辞書(大辞泉)とかで調べると,確かに,
『3 大ざっぱなさま。全体を大きくとらえるさま。おおまかに。「取りあえず―としたところだけでも決めておこう」「―とした話し合い」「要旨を―ととらえる」』
とあります。

。。。と調べている間に『ほぼ日刊イトイ新聞』にたどり着きました。
ほほう。これは「オトナ語」なんですねぇ。(軽く皮肉っぽい調子で)

ぼくは,たぶん,今後使うことはナイ。

2008年10月30日木曜日

和訳本

以前,

「ランダウ-リフシッツはロシア語の原著で読めないくせに,『専門書は原著(英語?)で読め』とか極めて無意味なことを言う奴が多いせいか,最近は薄くてどうでもいい本ばっかり出回っていて,過去の日本語の名著あるいは外国語の名著の翻訳は次々と絶版になっていく。くだらない小遣い稼ぎの本書く暇があったら,名著でも訳したらどうだ」

と,どこぞに専門書の和訳に関する不遜極まりない駄文を載せていましたが,今でも基本的にその主張は変わっていません。

今日,専門書の和訳という仕事の一つの理想たる本を見つけました。

それは,
・カルマン・ブルゲル著,大瀧仁志,山田真吉訳「非水溶液の化学-溶媒和と錯形成反応」
という本です。

非常に丁寧な訳本です。例を挙げると,この本の5章は原著者からの依頼から訳者が全面的に書き直しているそうですし,また,とある最初の方の訳注で,
「Ra68,70の文献ではMCについては何も述べていない。著者の誤解であろう。」
と書いてあります。これは訳者が参考文献もチェックしているということでしょう。んで確かに「すべての文献を調査し,原著者とさまざまな議論を重ねた」と書いてある。

こんなに丁寧な訳本ってなかなかないね。とか言って実は最初のほうしか読んでないけど。

最近,Dattaの「Quantum Transport」が翻訳されはじめていますけど,これもすばらしい~。まだ買ってないけど。

2008年10月25日土曜日

EBK量子化

朝永量子力学の話をしていて,調べておこう,と思ったこと。
→Einstein-Brillouin-Keller量子化

量子カオスって何だろうか?

量子力学演習の授業を持っていたときのこと。どうしても解析力学の授業をやっておかなくてはならなくて,必死に勉強しなおしてまとめ直したときに,
「ハミルトン形式で力学を定式化しなおすと,古典力学と量子力学が一番近づくけど,やっぱり論理的飛躍があって,しかも出てくるのがシュレーディンガーじゃなくてハイゼンベルク方程式なんだよなぁ」
と確かに感じました。

そこで,つらつらと量子カオスのことやら,非線形な量子力学やら,時間依存ハートリーフォックの話やらを考えていたことも思い出しました。そのまましっかりとした知識を学ぶことなく,今に至ります。

こういうことって,考えたり調べたりするのはかなり楽しいんだけど,ぼくのようなヘタレの場合,研究でやるにはかなりの忍耐力と覚悟が必要です。

2008年10月17日金曜日

すべからく

の誤用を指摘されることって,すごく恥ずかしいことなんだ。。。

呉智英ってやはり感嘆します。

ちなみに,「すべからく」については正しい意味を理解してきた,と思う。
ちょっと自信なし…

2008年10月16日木曜日

今日,

また,「絶対A型ですよね?」と言われました。

「そうです」
「やっぱり」
「。。。ウソですけど」
「ええーー?じゃあB型?」

というのをもう2回(笑)繰り返した後,試みに徹底的に反論してみました。

「それはバーナム効果というんだよ」
「当たる本があることを示しても,それはすべての組み合わせの馬券を買っているようなもので,そのうち当たるのは当然です」
「それは予言の自己成就という心理的傾向です」
「風が吹けば桶屋が儲かる,って知ってる?」
「統計的主張をするには相関を示すことが必要です」
「そのように否定的な証拠に対してアドホックに逃げ続けると,いずれあなたの主張は反証不可能となり,科学的な主張が備えていなければならない性質を持っていないことを意味します。つまり,あなたの主張は宗教的信念の表明と変わらん」
「私の弟は血液型が変わりましたが,性格は変わっていません」
「それは確証バイアスです」

・・・・・・

無駄でした。

2008年10月7日火曜日

意外と分からないこと

もう15年以上も物理をやっていても,分からないことはたくさんあったりします。それも小林-益川行列の意味とか,南部-後藤のハドロン弦理論がうまく行かなかった理由とかじゃなくて,かなり身近な現象で,です。

例えば,最近頭を悩ませているのが,
「金属を接触させて電圧をかけると,それだけで電流が流れるのはなぜか??」
という疑問です。

ここで言っている金属とは,それこそバナナプラグとかワニ口クリップとかであり,それを別の端子(ターミナル)とかに挿したりはさんだりすることを接触と言っている。

これが,分からん。

こう,接合とか言われてしまえばすぐに分かるのですが…プラグをターミナルに差し込むのは,こりゃあもう接合なんて高級なものではありません。

つまり何が分からんて,微視的に見た場合何が起こっているのかが,分からんのです。メカニズムが分からんのです。良く目にするのは,プラグの金属の表面はざらざらしていて,相手のターミナルの金属の表面もざらざらしていて,結局は点に近い小さな面積で接触しているのだ,とかいう話だけど,これだけじゃ何の説明にもなっていない。

大体,接触ってなに??

どのくらいのスケールで近づくと接触なのだろうか?

人間の見た目で接触していても,実際には接触していない,なんてことはいくらでもあるでしょう。また原子レベルまで近づいてしまったら,それは接触というより,接合になってしまうのではないでしょうか。

じゃあ原子スケールより離れていた場合どうなるかっていうと。。。放電??・・・ってことは電極挿すのは放電を起こさせている?…何か違う気がするなぁ。放電ってのは絶縁破壊だから,何かメソスケールな用語な気がするし。ようするに,今の話だと局所的に空気が電離して電流が流れる,と。ありえな~~い。

となると,仕事関数か?…でも仕事関数そのものは真空準位とフェルミ準位との差だから,金属の接触とは直接関係無いような…

となると,仕事関数というよりは,表面の電子状態?・・・でも各々の表面電子状態同士が繋がってしまったらそりゃあ,接合だよ…

まだ調査中で良く分かってないのですが,やっぱりなんだかんだいってトンネル効果なんじゃないかなぁ,と予測を立てています。はずしたら恥ずかしいけど,分からないんだから勉強中なんだよね。