2008年9月27日土曜日

血液型

の話をされるのが,性格判断をされるのが,キライです。

「Aさんって○○型ですよね??」

と言われたとき,それが当たっていてもいなくても非常に気に障ります。
むしろ「○○座」(さそり座とか)と言われたほうがまだマシです。

かくもくだらない風潮は何なんですか?

ぼくの知識では,それぞれの血液型に伴う性格類型は,

A型:几帳面,細かい,責任感強い
O型:大雑把,八方美人(社交的)
B型:自己中心的,気分屋,個性的
AB型:2重人格,変人,気難しい

って感じです。まあ調べても大体こんなところですね。
どーですか,このB型とAB型に対する否定的なニュアンスは。虐げられてますね~~

ぼくは,実験するときは細かいところにも気を使い(そうじゃないと事故が起こる可能性がある),遊んだり飲んだり騒いでいるときは大雑把で八方美人的なところがありますが(そのほうがみんな楽しいじゃん),気分によっては独りでいたいときもあるのでみんなと離れて勝手に行動し(落ち込んだとき無理に明るくは出来ませんね,自己中心的なので),時々変人と呼ばれ,また表面上愛想良くしながらその実相手を陥れるようなこともします(マキャベリズムには裏表が必要です)。

さて,ぼくは,何型でしょうか??

ぼくは全く信じてないので,他人の血液型に興味がありません。もちろん自分の血液型は知っていますけども。だから誰か友達とかにその人自身の血液型を教えてもらっても,しばらくすると忘れていること多々あります。

んで面白いことに,ぼくの血液型を当てようとする人は大概「AかOですよねぇ,でもBかも」と言います。おうおう,それじゃ9割当たるよ。さらに,積極的に信じている人ほど外します

この間も「A型ですよね」ときっぱりと言われました。「そうだよ」と答えておきました。違いますけど。

しばしば,血液型性格診断や占いを日常会話の中での話題の一つとして取り入れるのはいいじゃないか,つまりそんなことにいちいち目くじらを立てるな,という主張を聞くことがありますが,それはリベラリズムあるいはまっとうなバランス感覚に基づく主張ではありません。

以前に,NASAの元宇宙飛行士が「UFO地球に来とるでぇ~」と騒いでいると紹介した記事を紹介した際も書きましたが(分かりにくい文章!),問題なのは血液型性格診断が「なんとなく正しいかも,根拠あるかも」という弱いレベルの信念として膾炙してしまっていることです。

「信じてんの?」と聞くと「信じてないけど,あるような気がする」という答え。これは「信じたい」と言っているのと同じです。何かポジティブに見える証拠が出てきたら,すぐに「やっぱりあったんだ!」となるでしょう。

「日常会話でしゃべるんならいいじゃん」という主張は,血液型性格診断のような,科学的には根拠が無く,コミュニケーションのやり方としても完全に間違っている信念を,弱くではあるが助長する態度をあらわすものだと思います。

血液型に限らず,そういう事例って多くて,ぼくは強くイヤです。
正直言いますと,こういうものは一刻も早く無くなって欲しいです。くだらなすぎ。

いわゆる「特定アジア」に対する日本人全般の表立っていない嫌悪感,これも血液型性格判断に対する人々の態度と根は同じだと思ってます。唐突だけど。

日本人の悪い癖という印象を受けます。「お前嫌い?」と訊くと「嫌いじゃないけど…」という感じ。いつか一気に顕在化するんじゃないか,と少々恐れています。

2008年9月23日火曜日

しゃちほこ

こっちに来てずいぶん経って,ふとうちから学校まで歩いているときに突然気づいたのだけれども,うちの周りの家,特に旧家のお宅には必ず,

しゃちほこ

が乗っています。

…これって結構不思議だと思う。

鯱といえば『尾張名古屋は城で持つ』の名古屋城の金の鯱にあるように,大体は城郭建築物に乗っかっているのが普通で,一般のご家庭ではあまり見たことがありません。

まあ,火事の際に口から水を出す,ってんだから,別に一般住宅にあってもおかしくないけど。

きっと何かいわれがあるんだろうねぇ。

平面波

なぜ「平面波」と呼ぶか。

それは等位相面が,波数ベクトルを法線ベクトルとする平面だから。

たとえば,
exp(-ikx)
がなぜ平面波をあらわすか,というと,この波の位相が同じ値を持つ面,すなわち等位相面は,
kx=一定
なので,これはベクトルkを法線ベクトルとする平面である。

だから平面なのである。空間に何か平面があるわけではない。もちろん例えば空気などを考えて密度によって色が変わるように細工が出来たとすれば,平面波を可視化することは可能であろうが。

これに対して球面波は,例えば調和球面波は,
∝ (1/r)exp(-ikr)
などと書くが,この場合等位相面は前についている減衰項は考えずに
kr=一定 → r=一定 (k≠0)
であるから,球をあらわす。

・・・・・・

どうも光学って光線(ray)と波動がかわるがわる出てくるので分かりにくいよね。

2008年9月20日土曜日

仏像

行って来ました,京都。

とは言え,『せっかく京都に行くんだからねえ』と,発表の準備も終わらないまま京都に前々日入りして,一日観光してしまいました。どこに行ったかと言うと,奈良。

法隆寺,中宮寺,興福寺,奈良国立博物館,東大寺に行きました。

いやー,すごいね。すばらしい。仏像。

基本的に木で出来ているのに,モノによっては千年以上経っているわけで,現存しているというそれだけでもすごいが,美術品としての造形美がすごい。一人でぽけーと口をあけたりニヤニヤしながら見てしまいました。何度もぐるぐる回ったり。

特に,興福寺の国宝館は素晴らしかったです。ちょー有名な阿修羅像を含む八部衆乾漆像も良かったし,乾漆四天王も良かった。他にこいつはすごい,と思ったのが,

・板彫十二神将立像
・木造天燈鬼・龍燈鬼立像

の二つ。特に鬼はすごい出来でした。

他の木造仏も美しく,迷うことなくグラビアを買いました。

ひとつ発見したこととして,ぼくは宗教心が皆無なので,動きの少ない如来像にはあまり心動かされないな,ということ。そんで,一番好きなのが動きの大きい仁王像・四天王像(天部像)だということ。つまり不遜にも自分の中仏像格付けをすると,

如来<菩薩~観音<<<天部像(明王含む)

となる。なので,法隆寺の釈迦三尊像や百済観音像はすごいなぁ,とは思いますが,ドーパミンが出るまではいかないらしい。もちろん例外はたくさんあって,中宮寺の弥勒菩薩は良かった~

四天王がなぜ好きか,というと,動きが大きいのも面白いのだけど,必ず踏みつけにされている邪鬼が良い(笑)。特に,たまにいるのだけど,踏みつけられながらあごを手において不貞腐れてるヤツがいて,そいつが何百年も不貞腐れているところが良い。

・・・・・・・

他に京都で滞在したホテルの近くに東寺があったので,東寺にも行きました。東寺って,あれです,新幹線から見える五重塔のお寺。京都をあらわすには大文字焼きしている山をバックに五重塔と町の風景書くのがベタでしょ?あの五重塔があるお寺。

ここは真言宗(東寺派)の総本山です。真言宗というと高野山金剛峰寺が有名だけども,ここも本流と言って良いかと。あんまり詳しくはないけど。

ここの仏像も素晴らしいです。真言宗なので密教であり,明王像がある立体曼荼羅というものがあります。こいつの造形が良い。降三世明王が良い。帝釈天の顔が良い。ここの四天王がこれまた良い。

とにかく良い。

・・・・・・・

余談。さすがに真言宗の総本山,真言を唱えながら真剣にお参りしている人が多いのだが,観光客もとりあえずお参りする。ぼくはお参りはしないで中をじろじろ見るだけ。すいません。このときちょっとした出来事が。

観光客風の二人連れがですね,お参りしてたのですが,お浄財して,拍手を打ったのですね。二拝二拍手一拝。

。。。それは神社じゃないのか?

ここで鼻で笑うような気分にもなりましたが,実はこの二人は敬虔な神道の徒であり,仏も神!なのかもしれないと考えてしまいました。多分違うと思うけど。

…と思う一方「あー,やだやだ,ぼくは自分自身宗教心が無いのに知識をひけらかして人をバカにしようとしているなぁ」と自己嫌悪にも陥りました。一人なので,ひけらかす相手も居ませんでしたが。

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にしても,仏像に話を戻しますが,やはり美術品としてすごいと思います。確かにミケランジェロのピエタ(聖ペトロ寺院のやつ)なんてぼくも好きですし掛け値なしの傑作ですが,平安後期~鎌倉期の仏像の写実性・精神性もこれまたすごいよ。

ミケランジェロの500年くらい前なのに,ぼくから見た場合ですけど,同じくらいの高みに達していると思う。古代ギリシア彫刻のような静的写実ではなく,動的写実+精神性。

某都知事がかつて「日本ではニュートンより前に関孝和が微積分を発見してんだ」とか言ってましたが,まあこれは事実に即していないダメな発言だとしても,仏像の素晴らしさは誇ってよいと思いました。