2009年6月14日日曜日

磁気と生体(9)

ずいぶん間が空いてしまったけど,決して投げ出したわけではないよ,魅惑のサイエンスストーリー「磁気と生体」検証シリーズ。

「■「フレミングの法則」で血行を促進」節,第3段落目「ところで…」以下。

「ところで、10数年前、にわかに第2の磁気治療器ブームが巻き起こったのだが、それは強力な磁気エネルギーをもつ「希土類磁石」が開発され、使われるようになったからだ。なかでも「サマリウムコバルト磁石」の磁気エネルギー(最大エネルギー積という)は20000000ガウス・エルステッド。フェライトの約5倍、アルニコ磁石などの鋳造磁石の約30倍。これは、同じ鉄球を吸引して吊り上げるのに、フェライトでは5倍の体積、アルニコ磁石では何と約400倍の体積を必要とするハイパワーである。強力な磁気エネルギーをもつため磁石を小さくでき、肩・首・腕・腰などに負担をかけずスマートに治療ができる製品が各種開発され、磁気治療はますます広がりをみせるようになった。」

科学的に見た場合,ここはそんなに問題がないです。

唐突に「最大エネルギー積」なんて聞きなれない言葉が出てきますが。

ぼくは磁性および磁性材料の専門家ではないので,この用語を知りませんでした。

なのでちょっと調べてみたところ,最大エネルギー積とは強磁性体のヒステリシス曲線の減磁曲線部分(第2象限。永久磁石の特性を示す)について縦軸の磁束密度と横軸の磁場を掛け算して描いた曲線の最大値で,永久磁石の強さを表す指標の一つだそうです[1]。あとでもっとくわしく紹介します。
[1]例えば,日本材料科学会編「近代磁性材料」(裳華房,1998)1ページ。

式だけ見ると,最大エネルギー積は(B・H)_maxとか書くのですが,B・Hと言えば磁場中で一様に磁化した常磁性体中の磁場のエネルギー密度の(2倍の)式と同じですね。(希土類永久磁石のような強磁性体ではなくて)

ここで本文について一つ難癖をつけるとすれば,「磁気エネルギー」という言葉です。この著者は「磁気エネルギー=最大エネルギー積」として用語を用いていますが,これはおかしい。

まず前述したように最大エネルギー積はエネルギーの次元ではなく,単位体積当たりのエネルギーの次元を持っています。まあでもこれは細かい難癖。

(ぼくがこのシリーズでやっているのは全部細かい難癖の集合が何を示すか,ですが)

また,通常「磁気エネルギー」という用語は静磁場の持つエネルギーを意味します(それでも示す意味が曖昧なため,あまり使用しない用語ではある)。静磁場のエネルギーには,磁性体中の静磁場の持つエネルギーと,磁性体の外にできる静磁場のエネルギーがあります。

サマリウム・コバルト系などの希土類永久磁石は強磁性体であるから最大エネルギー積の表式は強磁性体中の有効磁場の持つエネルギー密度には対応しません[2]。
[2] 平川浩正「電磁気学」(培風館,1968)146~7ページ。

したがって,(最大)エネルギー積は永久磁石自身の内部有効磁場の持つエネルギー密度ではない。ではなんだろう?

そこで,他の本も調べてみました。

たとえば,平賀他編著「フェライト」(丸善,1998)の132ページには,
「これ(註:最大エネルギー積のこと)は単位体積当たりの磁石材料が外部につくりうる最大の静磁エネルギーの2倍に相当する」
「(BH)_MAXは実用上重要な値であり,磁石が外部に作る開磁束量の目安となる」
と書いてあります。

これだけでは良く分かりませんので,もう少し別の本を見てみましょう。

まず,先にもあげた日本材料科学会編「近代磁性材料」((裳華房,1998)1ページ。

「永久磁石の磁気特性は,図1.1に示すB-Hヒステリシス曲線の第2象限の部分,すなわち減磁曲線によって表す。着磁した後の単体の磁石の動作点はこの減磁曲線の1点で示される。ここでの磁界Hは着磁方向とは逆向きで減磁界とよび,左向きを正とする。その縦軸の切片を残留磁束密度とよび,Brと記号する。横軸の切片を保磁力とよび,Hcと記号する。減磁曲線上の各点でのBとHの積BHの最大値をとって,最大エネルギー積とよび,(BH)maxとする。これら3つの値Br,Hc,および(BH)maxが減磁曲線から読み取る磁石特性値である。このうち(BH)maxは着磁した磁石が外部に作る静磁界のエネルギーに比例する量で,永久磁石の性能指数として広く用いられている。」


(図1.1:ぼくの再現手書きです)

ふーむ。なるほど…

「静磁界のエネルギーに比例する量」ってどういう意味かよくわからないけど。どういう風に比例するのか書いてほしいな。

あと,どうもこの本だけに限らず,磁性体についてよく分からないことが一点。

ヒステリシス曲線ということは,外部から磁場を印加した状態での測定結果なわけで,ヒステリシス曲線の横軸は印加磁場と反磁場の和(差でもいいけど)である有効磁場のはず。(上記の引用箇所では単に“磁界”と書いてあって曖昧だが)

しかし,永久磁石ってのは外部磁場なしで用いるものなんだから,外部磁場なしの物性量でその性能を評価すべきなんじゃないだろうか??

そもそもヒステリシス曲線のx軸である磁場は,印加磁場なの?有効磁場なの?

このあたり,多くの本では曖昧です。これは,困る。

増田晋・内山守男著「磁性体材料」(コロナ社,1980)の19~20ページに次のような注釈がありました。

「…表1.2に示した透磁率をはじめ,いろいろのハンドブック,文献に示される磁化曲線,透磁率の値などは,ほとんどすべて有効磁界Hに対するものであり,印加磁界H_extに対するものではないことに十分注意されたい」
(強調はBudori)

そのあとに,実際の測定で得られるM(磁化)-H_extヒステリシスを「みかけの磁化特性」と呼び,この見かけのヒステリシスをM-有効磁場Hヒステリシスにする方法が述べられています。これを「ずれ補正(shearing)」というらしい。

やっぱり有効磁場なんですね。

(しかし,たとえば牧野編「永久磁石 その設計と応用」(アグネ技術センター,1966)なんかは,「外部磁場」と曖昧な言葉を使いつつ,どう読んでも外部印加磁場のままで話が進んでいる)

※この増田・内山著「磁性体材料」はいい本ですね~。かなりしっかりと曖昧さなしに書いてあります。

確かに,島田寛・山田興治編「磁性材料―物性・工学的特性と測定法」(講談社サイエンティフィク,1999)では最大エネルギー積の説明のところで(97ページ)

「…動作点(註)での磁束密度Bwと有効磁場Hwの積の絶対値|Bw・Hw|をエネルギー積と呼ぶ。この値は図3.15の灰色部分の面積となり,磁石が外部に作る静磁エネルギーの2倍を与える。Wの位置を変化させると,エネルギー積も変化し,ある点で最大となる。このときの値を最大エネルギー積(BH)maxと呼ぶ」

と書いてあります。(図3.15は省略)

(註)動作点Wとは,「永久磁石が実際にとある磁化状態にある点」のことだとぼくは解釈しています。目の前にある永久磁石が必ず最大エネルギー積を与える磁化状態にあるとは限りませんものねぇ。

おお,ここで「磁石が外部に作る静磁エネルギーの2倍」と書いてある。

…しかし,厳密にはこれは正しくありません。前述したように次元がエネルギー密度なんだから,エネルギーじゃないでしょ。あとで示すように,これははっきり言って間違いです。

結構いい加減だね,みんな。

ということで,いろいろと磁性材料の本をぱらぱら読んでみましたが,内山・増田以外の本はかなり適当だなぁ,という印象を持ってしまいました。

これはやっぱりちゃんと解析できる例を挙げなければいけないということで,内山・増田192~195ページに準拠して検討してみます。数式が出てきます。数式をテキストで書くのは面倒くさいので,図でごまかします。

(ページ1)


(ページ2)


(ページ3)


この解析から分かることとして,外部の磁場のエネルギー量を計算すると,確かにそれは内部の磁場(この場合印加磁場はないので反磁場のみ)および磁束密度の積に比例するということ。そしてエネルギー積はエネルギー密度の次元をもつということも分かります。

であるからして,「最大エネルギー積=磁気エネルギー」というのは,かなり割り引いて考えれば,正しい。

にしても,永久磁石って面白いですね。そこに置くだけで周りのエネルギー状態を高くすることができるわけですから。自然はエネルギーの低い状態を常に好みますから,これはなかなかまれな事態です。このエネルギー上昇はどこから来たのか?

それは,磁性体をもっと仔細に検討する必要があるでしょうけど,そこまでの余裕はないので,適当な議論で済ませます。

消磁された強磁性体は,外部磁場なしでは磁区がばらばらな状態が最低エネルギー状態ですが,外部磁場を印加すると細かい磁区が揃って単一磁区(=飽和磁化した永久磁石)になった状態の方がエネルギーが低いため,磁化します。

この状態は磁場なしでは高エネルギー状態なので磁場を切ると中間状態のない磁性体なら熱揺らぎによってまた細かい磁区に分裂して行きますが,なんらかの工夫(結晶構造や不純物の添加)によって熱揺らぎに勝って不安定な状態である単磁区状態を保ち続けさせることができます。

ここで磁区がばらばらな状態からどれだけ不安定な状態を保つことができたかを表すのが最大エネルギー積と言ってよいのではないでしょうか。

(この議論にあまり大きな自信はありません)

ではなぜ永久磁石材料が違うと最大エネルギー積が異なるのか。これはヒステリシス曲線が物質によって違うからです。ではなぜ物質によってヒステリシス曲線が違うのか。これは難しい問題です。個々の物質の構造や磁化の反転機構などはこれがまた難しい物質科学の問題です。

いずれにしても,今検討している「磁気と生体」本文に正しく書かれているように,最大エネルギー積の大きい磁石と小さい磁石を比べた時に,最大エネルギー積が大きい方がより小さい体積で同じ強さの磁束密度を発生させることができます。

もっとも,磁石の強さを最大エネルギー積だけを指標にして見ると,サマリウム・コバルト系磁石の20Mガウス・エルステッドよりもネオジム系磁石の35~55M[3]ガウス・エルステッドの方が大きいのですが。
[3] 日立金属の2002年6月18日のニュースリリース。

さて今のところ,この「磁気と生体」シリーズでは「エネルギー」という言葉の濫用は見られませんが,うさんくさい磁気治療器の解説部分で「磁気のエネルギーが血液中のイオン解離を促進し…」のような文章を見ると,

「電解質中でイオン解離していない分子を解離させるためにどれだけエネルギーが必要だかご存知ですか?物にもよりますけど,解離平衡状態にある電解質でそれをするってことは,電気分解を発生させるということではなく,プラズマを作るということと同じですよ…そもそも静磁場は仕事をしないので,磁場の持つエネルギーを他のものに転換することはできないんですよ」

と突っ込みたくなります。

世の中には取り出せないエネルギーってのもたくさんあるんです。

どうも何かと「エネルギー」という言葉を拡大解釈する人が多いので,不愉快です。

ちなみにすげー細かいことですけど,「磁場が鉄球を吸引して吊り上げる」のは磁場が仕事をした結果だと思っている人がたまにいますが(深野一幸先生とか…と思ったら深野先生は『鉄球が重力に逆らっているような状態を磁石が保てるのは,空間からエネルギーを吸収しているからだ!』というもっと無茶な主張でした),それは誤解です。

鉄球が磁石に引き寄せられるのは,その方がポテンシャルエネルギーの低い状態であるからであり,そのポテンシャルエネルギーは引き寄せられる際の運動エネルギーにすべて転換されて,磁石と衝突した瞬間,お互いの表面付近の分子の振動に変換され,「カキーン」という音や振動,および熱になります。これは磁場が仕事をしたわけではありません。

今回はまた大してツッこんでないのに長くなったなぁ。。。

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